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なぜ今ここにいるのか〜教師になる理由〜

「私はやっぱり『先生』を仕事にしたい」という思いに、ここ数年で何度も立ち返っている。

私は教員採用試験に合格し、来春から先生として働く。

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大学受験をする頃の私は、まず、英語が好きだった。

教えることも、やってみたい。
よりわかりやすい授業を追求できる先生になりたい、と思っていた。
受験生だったから「わかりやすい」は授業の中で何よりも大切な要素だった。

その後の大学生活では、留学準備をきっかけに幅広い選択肢を視野に入れるようになったと思う。トビタテ!留学JAPANという留学支援制度を活用して留学に行きたかったから自分のやりたいことを相手にわかりやすく伝える必要があった。

もっというと、「自分がやりたいこと」を明らかにしながら、「どうやったらそれが実現できるのか」も考えるようになった。

この思考は「教えることが好きだから先生になりたい」よりもワンステップ深掘った自己理解が必要だったし、私って本当は何をやりたいんだっけ?に向き合うために、何重にも覆いかぶさっていた無意識の思い込みと向き合わなきゃいけなくなった。

自分の本心はどこにあるんだろう?
自分が情熱を向けられるものってなんだろう?
自分にしかできないものってあるのかな?

私はこの問いのヒントになるものを、ある映画を見た時に得ることになる。
それが、『HAFU』(2013)というドキュメンタリー映画だ。


ハーフの人たちは、かわいい、かっこいい、2か国語話せて羨ましいという世間のイメージとは裏腹に、自分のアイデンティティや言語獲得、ハーフならではの差別や偏見にとまどうこともあることが、映画の中では丁寧に描かれていた。

そこで私自身も、自分がハーフとして悩んできた経験があったことを思い出した。多分長い間そういう感情に蓋をして生きていたし、アジア系は見た目でそんなに目立つわけでもないから「ハーフ?」と聞かれることもそもそも少なかったこともあった。

中国と日本のハーフはややこしい。少なくとも私はそう感じながら生きてきた。なぜなら日中関係悪化のニュースとか、爆買い中国人を揶揄することとか、中国に関するニュースのほとんどはネガティブなことだから。

つまり、自分が日本で「日本人」として見られて生活しているのに、わざわざ中国とのハーフであることを伝えるメリットが見当たらない。言うのは、少し怖かったりする。

こういう感情と初めて向き合った時に、グローバル化の中でも、日本国内がグローバル化していることや、学校も国際化していることについて考えるようになった。

自分のアイデンティティと、教員として子どもを支援していきたい、という思いとが合致したのが、ここだった。

それでわたしは今、先生になる準備をしながら、学校の国際化を研究できる大学院にいる。

まず「学校現場では何が課題と認識されているのか」、「それに対してどのような支援が行われているのか、いないのか」を理解する必要があった。現場の先生方との考えを聞きながら、また二つの国を跨いで生活する経験を持つ子どもたちが何に悩み、どのような生きづらさを抱えているかを理解して支援していきたいと思った。

まだまだ全ての学校にハーフの子や外国籍の児童生徒がいるわけではないけど、地域によっては外国につながる子どもの数が全校の半分ほどを占める集住地域もある。

「私は自分が何者なのか」という問いに答えを出せないままでいるけど、私は「中国についてちゃんと知りたい日本で育った人」くらいに捉えて、子どもたちと一緒にアイデンティティや言葉の学びに向き合って生きたいと思えている。

私の本心は、二つ以上の国や文化につながる子どもたちが、それをheritageだと受け止められること。

そしてその周りにいる子どもも、その子の強みを見て、違いを楽しめる、学び会えるようにすることである。

きっと、私のやりたいことはこれから次のステージで経験することや新しい出会いによって少しずつ変化するのだと思う。
今私が見えている景色では、外国につながる子どもの支援を充実させたり、その周りの子どもを一緒に成長させる教育づくりをしていきたい。
それが私が教育について学ぶ理由であり、これから教員になりたい理由だ。

20201103 かづき

<オンライン寺子屋運営のなぜ今ここいるのかシリーズ第一弾はこちら>


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