授業を面白くするのは、教師の目標ではなく、義務と考えるべき
何をもって「面白い」と感じるかは人によりけり――ではあるけれど。
2002年に発表された論文(Ainley, Hidi, & Berndorff, 2002)によると、どういった理由であれ、ある情報を「面白い」と感じると、人はそれをより積極的に理解しようというモチベーションが高まるだけでなく、実際にそこで学んだ内容をより深く理解し、長期間にわたって記憶し続けられるそうです。
Ainley, M., Hidi, S., & Berndorff, D. (2002). Interest, learning, and the psychological processes that mediate their relationship. Journal of Educational Psychology, 94(3), 545–561. https://doi.org/10.1037/0022-0663.94.3.545
であるならば、授業を面白くすることは、教師にとって「そうできたらいいよね」レベルの(努力)目標ではなく、プロとして教壇に立つ以上はそこが最低ラインと考えるべき職務上の義務に近いもの、なのではなかろうかしら。だって、教師がなにごとかを教えるのは、教えることそのものが目的なのではなく、あくまで生徒ないし学生に何かを学んでもらうことが目的なわけで。
営業いってます、が営業職にとってのOKラインではないように、授業やりました、は教師にとってのOKラインではないはずなんです。
実際に売れました、生徒/学生が授業を受けなかったら学べなかったかもしれないものを学べました、となってはじめて「仕事をした」ことになるんだとすれば、上記の論文の知見と考え合わせると、やっぱり「授業を面白くする」ことは、教師の義務と考えるべきなんじゃあないでしょうか。