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写真にはドラマがある ~松本路子の撮影ノオト~

世界各地のアーティストの肖像を撮影する中で、忘れられないエピソード、写真のこと、自宅マンションのバルコニーから、60鉢のバラ・果樹の季節の便りなどを綴ってみたいと思います。本・映…
人やものとの出会いの物語りを、一緒に楽しんでもらえたら、嬉しいです。
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#女性アーティスト

こんにちは! 松本路子マガジンです

こんにちは! 松本路子マガジンです

マガジン始めました月間4〜7回の新作記事を目指しています。現在制作中のニキ・ド・サンファルの映画のこと、世界各地のアーティストたちとの出会いの物語を中心に、折々の写真やエッセイを掲載していきたいと思っています。内容はいろいろですが、まずは以下の興味ある8本の幹から枝葉を伸ばします。ご購読いただけたら嬉しいです!

Contents 記事の主な内容○ニキ・ド・サンファルとの出会いの物語&アート・フィ

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映画のナレーションの収録、小泉今日子さんの声が素敵です。

映画のナレーションの収録、小泉今日子さんの声が素敵です。

ニキ・ド・サンファルのドキュメンタリー映画が少しずつ完成に近づいてきました。一時的にAIの声でナレーションを入れていたのですが、それに代え、スタジオ収録した声を映像と組み合わせたところです。

ナレーションを担当してくれたのは、小泉今日子さん。大人の女性の落ち着きと、弾んだトーンをあわせ持った素敵な声で、ニキと作品のことを語ってくれました。彼女のナレーションが加わったことで、今まで見ていた映像が立

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メレット・オッペンハイム ~撮影ノオト~

メレット・オッペンハイム ~撮影ノオト~

スイスのベルンにて「やり過ぎだね。ダリみたいじゃない?」と、作品を手にカメラに向かってポーズを取るメレット・オッペンハイム。1985年にスイス、ベルンの彼女の自宅を訪ねた時のことだ。

どの様な経緯でオッペンハイムの自宅に行き着いたのか、今は記憶もおぼろげだが、パリ滞在中にどうしても彼女に会っておかねばと、ベルン行きの列車に飛び乗ったのを憶えている。

私がオッペンハイムの名前を知ったのは、「毛皮

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フェイス・リンゴールド ~撮影ノオト~

フェイス・リンゴールド ~撮影ノオト~

ニューヨークにて。行先を告げると、何台ものタクシーから乗車を断わられた。フェイス・リンゴールドの住むニューヨーク、東145丁目を訪れた日のことだ。1989年当時、ハーレムの治安はあまり良くなく、私は一抹の不安を抱きながら彼女の家に向かった。だがそこには10年来の知己を迎えるような笑顔が私を待っていた。

画家、造形作家、パフォーミング・アーティストとして知られるリンゴールドだが、なんといっても代表

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平沢淑子 ~撮影ノオト~

平沢淑子 ~撮影ノオト~

パリのアトリエにて。居間の窓下には、隣接する建物の庭園が広がり、バラが一面に咲くのを見渡せた。「見事な眺めでしょう。このジャルダン(庭)が気に入ってここに移ってきたの」

パリ、サンミッシェル大通りに面するアパルトマンの自宅兼アトリエに初めて平沢淑子を訪ねたのは、1985年の5月だった。彼女は私を近くの瀟洒なレストランでの昼食に招いてくれた。木漏れ陽の中で、たっぷりと時間をかけた食事の後、再び自宅

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ルイーズ・ネヴェルスン ~撮影ノオト~

ルイーズ・ネヴェルスン ~撮影ノオト~

東京のギャラリーにて。その人は近づいてくると、両手で私の手を包み込むようにして語りかけた。「マイ・ディア」と。柔らかな手の感触とぬくもりが、その時の情景を思い起こすと、今も甦る。手を握りながら、2重のつけまつげの目がまっすぐにこちらを見つめ、きらりと光った。アメリカの彫刻家、ルイーズ・ネヴェルスンに会った時のことだ。

1982年、当時丸の内にあったギャラリー「ウィルデンスタイン東京」でネヴェルス

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ケイト・ミレット  ~撮影ノオト~

ケイト・ミレット  ~撮影ノオト~

ロサンゼルスにて。ケイト・ミレットに初めて会ったのは1977年の夏だった。その年、ロサンゼルスを訪れた私は、アメリカ西海岸におけるフェミニズム・アートの拠点ともいえるウーマンズ・ビルディングに立ち寄った。

ビルの3階ではフロアいっぱいに材料を広げて数人の女たちが彫像を作っていた。しばらく立ち止まって作業を眺めていると、中のひとりが片言の日本語で話しかけてきた。無造作に髪をたらし、ペンキだらけのT

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草間彌生 ~撮影ノオト~

草間彌生 ~撮影ノオト~

ニューヨーク、ハプニングの女王  草間彌生のことを知ったのは、1960年代後半にニューヨークから伝わってくる断片的なニュースからだった。当時欧米で盛んだったハプニングやボディ・ペインティングの仕掛人として、きわめてセンセーショナルな扱われ方をしていた。

 制作している作品についてもスキャンダラスにしか伝わってこない。だがその頃ニューヨークで活動している日本人女性は少なく、10代の私にとって気にな

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ニキ・ド・サンファル ~撮影ノオト~

ニキ・ド・サンファル ~撮影ノオト~

パリ郊外の自宅にて。カラフルでエスプリあふれる女性像で知られるフランスの造形作家ニキ・ド・サンファル。彼女と初めて会ったのは1981年、パリ郊外の自宅を訪れた時だった。かつて宿屋だったという石造りの家の扉が開くと、女主人が出迎えてくれた。ダイナミックな作品とは対照的な、繊細で神秘的な雰囲気を漂わせた人だ。

居間に通されたとたん、その彩りの鮮やかさに思わず歓声を上げた。まさに作品世界そのもの。机、

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ピナ・バウシュ ~撮影ノオト~

ピナ・バウシュ ~撮影ノオト~

ピナ・バウシュの舞台「ブッパタール舞踊団」の舞台を初めて見たのは、1980年代のニューヨークだった。振付家のピナ・バウシュ率いる舞踊団は、ドイツのブッパタールを本拠地として、世界各地で公演を行っていた。「タンツテアター」(ダンス劇場)と名づけられたその舞台は、ダンスと演劇が融合した独特のもので、生きることそのものを主題として、踊り手たちが舞台上にさまざまな人生模様を描き出す。

それは時として、人

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