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本当に必要だったのは誰でもない「わたし」でいる時間
本当の「わたし」は誰?
いつから私は、「わたし」じゃなくなってしまったのか。
夜中にふと本当の自分は誰だっけと思うことがある。
幼稚園に行くまでは確かにわたしだった。
でも幼稚園に行ったら、幼稚園のワタシと家のわたしができた。
小学校や中学校、高校、大学と交友関係が広がると、さらにいろんな私が増えていった。それでも家につき部屋に入れば、わたしになれた。
働き出すと、仕事の私が家のわたしを侵食し始めた。それでも仲の良い友人や一人で見る深夜の映画館でわたしに戻ることができた。
それがどうだろう。
結婚したら、子どもができたら、その上仕事に復帰したら
あれ?あれ?どれも本当のわたしじゃないかも。
どんどん「わたし」でいる時間を削ってしまったら、わたしが「わたし」かわからなくなってしまった。
そもそも、考えてみたらもう何年本当の「わたし」やってないんだっけ?
そう。人はたくさんの役割を担って日々生活している。
常に何かのネームタグを付けて、その役割を演じて生きている。家族の前だってそうかもしれない。
今、あなたは何者でもないあなた自身に戻れる時間を持っているだろうか。瞬時に本来のあなたに戻れる魔法のスイッチや道具をすでに見つけているだろうか。あなたが誰でもない「わたし」でいる時間が今ちゃんとあるのならそれはとてもラッキーなことだ。
人は誰でもない誰かになる時間が絶対に必要な生き物だと思う。そんなことについていろいろ考えて忘れないようにここに書き留めておく。
人生にスナフキン〜「わたし」を取り戻す旅〜
「大きな仕事が終わったので、一ヶ月旅に出る。」
まとまった仕事が終わるたびに、突き動かされるように海外へ長期滞在する友人がいる。
目的はない。海外でただ生活するだけ。それがリセットになると彼女は言う。自分のことを誰も知らない異国の地で暮らすからいいんだよと嬉しそうに教えてくれた。
それでふと思い出したのが、自由にのびのびと渋谷の交差点を歩く海外の有名なミュージシャンたちのショート動画。本来であれば、ボディーガードやパパラッチ、ファンに囲まれてどこに行くのも自由が憚れる彼らが、日本だけは特別だと言う。超一流の世界的なミュージシャンやハリウッドスターも私服でいれば日本人には一般の外国人観光客にしか見えない。大好きな日本を思う存分自分のままでエンジョイできるから何度も来日するのだ。
そうだ。人はどうして旅をするのだろう。
なぜ、住んでいる場所から離れた遠い場所に行くのだろう。
人が旅する本当の理由は、本来の「わたし」に戻れること、誰でもない誰かになれることが心地よいからだと思う。縁もゆかりも無い土地で、自分のことを誰も知らない孤独な状況を作り出す。どこにも属さない旅人でいることがなんとも言えず居心地いいからだ。
ここで言う旅はもちろん一人旅だ。その旅の主人公は、誰でもない「わたし」でなければならないから。
圧倒される雄大な自然や美しい歴史的な街並み。
何が待ち構えているかわからないエキサイティングなスリルやハプニング。
新しい価値観を与えてくれる異文化、異国の人との会話や味わったことのない食事。
旅は新鮮な刺激を与えてくれる。
でも、そこに本当に求めているのは自分のことを知らない誰かと心が通じる瞬間、普遍的な人間の日々の暮らしに触れることなのかもしれない。
日常の中にある「わたし」さがし
旅人が自由なのは帰る場所があるからだ。
スナフキンだってムーミンがいて「スナフキン」に戻れる場所があるからこそ、誰でもない旅人の自由をかみしめることができるのだ。
だけど、「わたし」でいるためにずっと旅をするわけにもいかない。もっと手軽に日常的に本当の「わたし」を取り戻すことができないものだろうか。
わたしが「わたし」でいる輪郭をもう一度なぞるには、わたしが一体どんな人物なのかを知る必要がある。
それを知るための究極の手段の一つが「モノ」を捨てることだと気づいた。
モノを捨てて「わたし」を知る人生哲学
今や空前のお片付けブームだ。
ものを減らそう。イライラしないためにも、自分の時間を有効に使うためにも。ものが人のエネルギーを奪うから。シンプルに。ミニマリストになろう。なぜそれが必要なのかわからないままただものを捨てることがよしとされている。
本当にそうだろうか。ものを捨てて、所有物が少なくなることで、もちろん人生が変わる人はいるのかもしれない。
けれど、ものを捨てことはただのお片付けとわけが違う。
ものを捨てることは、「わたし」が生きてきた人生と真っ向から向き合わなくてはならない。つまりそれは自分の人生哲学に触れることになる。
ものを捨てることと向き合うのはそのものに愛着があればあるほどつらい。
ストレス発散でついついものを購入してしまう。
不安だから心配だからという理由でものを手放せない。
ものを持っていること自体が安心につながる。
言い訳のように聞こえる言葉だけど、多分本当は違う。
単に片付けが苦手だから、整理整頓が嫌いだから、面倒くさいから、気づけばものが増えてしまう、埋もれてしまう、本当の理由はそんな表面的なことではないはず。
「ものを捨てる」ことは、深い深い真っ暗な井戸の奥に落としてしまった大切な鍵を見つけるようなもの。
それは「わたし」という鍵。
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何も考えずに思い切って全部捨ててみたら、「わたし」に戻れるのではなく、それこそ本当の「わたし」を見つける前にからっぽになってしまうのではないだろうか。
実際に真剣に向き合って「モノ」を手放してみると、初めてそこでこれだけは手放せないと、自分にとってはかけがえのないものがようやくわかる。
それは誰かが決めた基準や世間の一般常識では到底はかることのできない、「わたし」基準の大切なもの。それが一体何なのか知ることができたら、きっと「わたし」をもう一度見つけられる。そして、それを知ることは、「わたし」に戻るための大事なスイッチとなる。
この絵本「ぼくのへや」もそんな体験をするあらいぐまの話で、心がとてもゆさぶられた。そう、「わたし」を知るって思ったよりも大変な作業なんだ。
好きに没頭することで「わたし」を取り戻す
「わたし」が何者か考えるだけが「わたし」を見つけることとは限らない。
「わたし」なのか「私」なのか「ワタシ」なのか、何者かわからずにひたすら作業に夢中になることも本当の「わたし」に戻れる瞬間だ。
そーいんぐ実況のわかこさんの動画チャンネルを見ているとそう思う。
ものを作ることって「わたし」を取り戻すことに大いにつながるのだと思う。わたしが夢中になれることは「わたし」を幸せにする。
誰かのためでもいいけれど、その誰かのために何かをしたい「わたし」を満足させることが大事。
ものづくりだけではない。料理を作ることだってそうだ。
自分のために料理を作ったことがない人がいたら、この本を読んでほしい。きっと料理という概念が変わって、それは「わたし」を知ることにもなり、これからの「わたし」を作ることにつながるのだと気付かされる。
「わたし」を取り戻すことは、日常の中で、暮らしの中でクリエイティブでいることだ。日々の暮らしが楽しくなるように幸せになるように工夫してるときこそ、本当の「わたし」に戻れる気がする。
TEDに登場した俳優のイーサン・ホークが語った言葉にヒントがたくさんあった。
誰でもない主人公の「わたし」を見つける物語
それでも、日々の忙しない暮らしの中では、本当の「わたし」を見失いがちだ。それなら、いっそ、今この瞬間だけあなたがやっているすべての役割を捨ててしまおう。ちょっとの時間でいい、一瞬でもいい。誰でもない誰かになってみる時間を作ってしまおう。
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村上春樹の小説は、あなたが「わたし」に戻るためにピッタリだ。
いつの間にか小説の中で、あなたは誰でもない傍観者であり、見知らぬ街で見知らぬ誰かになっている。小説の中の世界をのんびりと見知らぬ誰かになって旅をする心地よさを知る。
読んでる間に、世界のすべてがリセットされる感覚になる。
それはわたしが「わたし」に戻れる瞬間だ。
あなたが「わたし」を見つける方法を自分で探し出せた時、世界は確実にまた輝き出す。だって、いつでも本当の「わたし」に戻れるあなたは最強だから。
スイッチはできるだけたくさん隠し持っていたほうがいい。
だから、今日もわたしは「わたし」を取り戻す魔法のスイッチを探している。
お立ち寄りありがとうございました。
素晴らしい1日をお過ごしください。
マニールマニムンチョスでした。
またのご来店お待ちしております。