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ステレオタイプの女性なんていない、なんてウソだ。
いつもは格闘技のことを書いているのですが今日は違う話題。
森・元首相の発言が物議を醸しています。
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」
「女性っていうのは競争意識が強い」
「女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困るといっておられた。だれが言ったとは言わないが」
というような発言をJOC会合でしたらしい。
逆ギレ会見も含めて「老害」のもっともわかりやすい例として広辞苑に載せておきたいくらい、それこそ「立場をわきまえない」あほらしい話でした。
ただ、今日筆をとったのは
「女性を差別をするのか!!!!」
「切れ味のわるくなった高田延彦のように話の長い男性だっているぞ!!!性別で決めつけるな!!!」
という批判をするためではありません。
むしろ「ぶっちゃけステレオタイプな女性って実際いますよね」という話をしたいのです。立場のある人達はいえないでしょうから。
ステレオタイプなキャリアウーマンたち
・頭がキレる
・自己主張が強い
・女性の若手は、出来が良くてもきつく当たりがち
・使える男性の若手や業者にはめちゃ優しい、できない同世代男性には手厳しい
男性のそれなりに社会人経験のある方は、こんな「女上司」に出会ったことがあるのではないでしょうか。
営業現場でも、取引先が「女部長」だと、得意不得意が分かりやすく出ます。私は営業としては比較的「得意」なほうだと思います。
営業先で出てきたのが「女部長」だったら、どんな振る舞いをすれば気に入られるか、どんな言葉が逆に地雷になるか、ある程度パターン化してコミュニケーションをとれます。(もちろん例外はあります)
相手が「男部長」だったら?
男性の場合、パターン化は単純ではありません。もう少し観察しながら、どんな人物を見極めていく必要がありました。
では、こういうことでしょうか。
女性には、ステレオタイプがある。
男性は多様だ。
そんなはずはないですよね。世の中にはいろんな女の人がいるのは誰でもわかっていることです。
じゃあ、こうしたらどうでしょうか。
(それなりにキャリアを積んだ)女性にはステレオタイプがある。
(同様のキャリアでも)男性は多様だ。
私は、これがかなりの場合あてはまってしまう事実だと思っています。
でも、決して「女性はみんな〇〇だ」ということが言いたいわけではありません。
女性の人生は「選択」の連続だ。
1990年代に入社した「男部長」が晴れて部長にいたるまでの道のりを振り返ってみましょう。
1990年:希望していた会社に就職。親からも喜ばれる
2000年:同期より少し遅れて結婚。親からも喜ばれる
2005年:同期と同じくらいに子供が生まれる。親からも喜ばれる
2010年:同期に少し遅れて管理職に。妻からも喜ばれる
2015年:同期にだいぶ遅れて部長に。妻や子供からも喜ばれる
少し遅れてですが、無事に部長になれてよかったですね。家族も幸せそうです。
次は、「女部長」が部長になるまでです。
1990年:就職するか、どうか迷ったけど、希望していた会社に就職。親からは「別にお嫁に行ってもいいけど頑張ったね」と言われる
2000年:同期より少し遅れて結婚。結婚して仕事のつづけ方を考えたけど、やっぱり仕事が好きだから今まで通り続ける
2005年:迷ったけど、今しかないので子供を産む。産休から戻ってきたときに自分の場所があるか不安。
2010年:育休から復帰する迷ったけど、やっぱり仕事がやりたいから復帰。
2015年:同期にだいぶ遅れて部長に。仕事を続けてよかったと思うけど、夫とはちょっとケンカした。
男部長の人生はなんとノーテンキだったことでしょう。
男性はあまり人生において大きな選択をすることがありません。なんとなく就職して、なんとなく働きつづけていれば仕事があんまりできなくてもそれなりのポジションにつけました。(いまはそうでもないですが)
一方、部長になるまで、女性の人生は選択の連続です。就職するかどうか。結婚して仕事を続けるかどうか。いつ出産するか。産後、本格的に復帰するのか。常に2択をせまられつづけて、選びぬいたのが「部長」のポジションなのです。
2択も、仮に5回くりかえせば「32択」です。
しかもその2択は「きのこ」「たけのこ」どころではありません。その人の価値観に直結する、「生き方」の選択です。
人生の岐路ごとに「価値観の選択」の連続を経た「女部長」になった人達はその「32分の1」を選んできた人達です。
似ているというか、「同じ価値観」を持っているのはある種当然です。
つまり
(それなりにキャリアを積んだ)女性にはステレオタイプがある
より、
特定のタイプの女性しか、キャリアを積むことができなかった
が正しいのかもしれない、と思うわけです。
一方、男性は特に選択される機会もなく、「なんとなく就職してなんとなく働いている」うちに出世の機会に恵まれます。
「男性は多様なタイプが出世する」のではなく「多様なタイプが生き残ったまま出世していく」わけです。
本当に考えないといけないこと
考えてみると最初にあげた行動は、
・頭がキレる⇒優秀でないと生き残れない
・自己主張が強い⇒権利の主張をしないと生き残れない
・女性の若手は、出来が良くてもきつく当たりがち⇒まだ生き残る苦労を理解していない若手には厳しくしてしまう
・使える男性の若手や業者にはめちゃ優しい、できない同世代男性には手厳しい⇒「苦労してきた」自負があるからこそ同世代にはライバル意識、年下は育ててあげたい
といった理由があると感じます。
一般的なキャリアウーマンでもこうですから、森さんの周囲にいる「スーパーエリート」の女性たちに一定の「同質性」があることは想像にかたくありません。
実際、「競争意識が強い」方も多くいらっしゃったのでしょう。じゃなきゃ森さんと仕事するレベルにまで到達できません。
森さんの発言に「差別だ!!!!」「女性はこう、という決めつけをするな!」と批判するのはカンタンです。
ただ、どうにもその声はむしろ「日本社会でキャリアを積める女性には特定のステレオタイプがある」という事実を、覆い隠してしまうように感じています。
本当に考えないといけないこととは、そういった現実を認めて向き合ったうえで、「いろいろな価値観を持った女性が働き続けられる会社と社会」への決意を固める、ということだと思うのです。
それは「2択」そのものの機会を減らしていくことでもあります。
「結婚・仕事」「出産・仕事」といった選択肢「複数選択」で当たり前のように生きていけるようにすること。
そうすることで、「女部長」のタイプも「32分の1」ではなく、もっと多様になると思うのです。
ここまで、本記事は特にデータもなく定性的に筆者が日頃感じていることを書き連ねてきました。
さらなる「決めつけ」ととられ不快に感じられる方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、「女性にステレオタイプなんてない」という理想を振りかざす前に一度、事実と向き合わなければ始まらない、そう思い筆をとった次第です。
営業としては痛し痒しですが、「相手は女部長だから〇〇得意だろう、行ってこい」と言われない世の中がくることを願っています。