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prologue


無類の風呂好き

板橋で料理屋を経営する家柄から、幼少期より常識ぎりぎりまで外で遊ぶアクティブな少年でした。
子供が多かった当時、近所の公園や空き地は激戦区で、それでも子供たちはいろいろな知恵を出し合いながら遊び場の選択肢を潤沢に持っていました。
西が丘サッカー場の空き地(現在、体育館は「国立スポーツ科学センター(通称:JISS)」、空き地は「味の素ナショナルトレーニングセンター(通称:味の素トレセン)」)、高速下(首都高5号線の下)、本町公園(池袋本町、池中前←東京都の給食モデル校)、そして、池袋西口公園(俗にいう「IWGP」)。サンシャイン60がオープンした時は、下の公園で遊びつつサンシャインでドロケー、そんな時代です。
一日はそれで終わらず、地元の幼馴染みと夜な夜な繰り出す近所の銭湯が楽しみの一つで、家の風呂に入らずわざわざ行く銭湯、時には家の風呂に入ってまず汚れを落としてからの銭湯、それがほぼ毎日、本来の風呂の目的ではなく、友達と大騒ぎできる第2ラウンドの場として楽しかった。
もちろん、騒がしい子供たちに大人からちゃんとお𠮟りを受けるし、それは社会と繋がる瞬間で、人生の大切なレッスンでした。
その時に受けた様々な経験、道徳、価値観、エモーショナルみたいなものに、いいイメージを覚えている自分にとって、入浴は好きを超えたかけがえのないコトなのです。

2歳

バブルの中で高校生

高校は、外苑前にある学校に通います。入学は、1987年4月(卒業1990年3月)、日本がバブル景気に沸いたのが1986年12月~1991年2月なので、まさにバブル真っ只中の時代に青春真っ只中を過ごしたわけです。
それも、ど中心地で。

バブル景気とは、1986年12月から1991年2月頃までの期間を指し、1988年頃から好景気を一般の人々が実感、株価の急上昇、不動産価格の上昇、また個人資産なども増大し、社会全体が今までにない好景気を実感した時期でした。

https://www.tokaitokyo.co.jp/

外苑前駅には商社の伊藤忠本社、お隣の青山一丁目駅には自動車の本田技研工業本社があり、この界隈はバブル景気のるつぼ。
校則厳しい学校にありながら、社会人主催のパーティーにはよく行ってたし、アルバイトもしっかりやってました。麻布十番、晴海、新橋あたりで。
晴海は、当時まだ東京ビッグサイトがなくて、その類のイベントはすべて晴海にあった東京国際見本市会場で開催されていました。1987年には、飛ぶ鳥落とす勢いでイケイケのフジサンケイグループがビッグイベントを仕掛けて、そこに高校1年の時、バイトで通いました。タクシーで。帰りは、予約したタクシーで。バイト帰りに銀座のラーメン屋「ふくちゃん」寄って腹を充たすのも、タクシー捕まらない時代だったからメーターそのままで。
あの時代に可愛がってくれた商社のお兄さまお姉さまのことは、今でも忘れられないな。パーティー誘ってくれる、タク券くれる、そんな大人に憧れたんじゃない、どんな角度から見ても”カッコいい遊び方”を教えてくれた、社会に生きるその入り口でスタートダッシュを見ていてくれた、永遠の先輩方。
この出会いは、僕らにとってみればバブル時代のいいところ、かもしれない。

高校2年

バブルが弾けてる中で大学生

付属校につき、大学も渋谷のキャンパスに通います。
高校のとき以上に、事あるごとに話しを聞いてくれた偉大な先輩方が、次第に遠ざかっていきます。なんで?
転勤の話しは聞いてないし、不義理をしたわけでもない。そうこうしてるうちに、そろそろ卒業後のことを考えるようになった頃、いろいろなことが漏れ伝わってたんです。
お兄さまお姉さま方、そのほとんどがバブル崩壊と共に辞職や行方知れず、中には残念な結末を迎えた人もいたりと、そこで景気の後退が目に見えない速さで加速してると実感します。

バブル景気は一般的に1991(平成3)年2月に終わったとされている

https://www.toyo-const.co.jp/history/phase5
大学2年~成人式

あのとき足りなかったもの

社会に出て身をもって感じたことは、人間、リラクゼーションなくしては生きていけないということ。
あのとき、不動産投資や飲食店出店ラッシュに熱心だった時代の流れの中で、同じくらいリラクゼーションへの投資があったら、きっと世の中は変わっていただろうとつくづく思います。
クイックマッサージ、リフレクソロジー、手を揉むだけのサロン、スーパー銭湯等々、それらでさえも、まだまだだいぶ先の話しです。
自身も海外に飛び出し、そこで気付かされるほど、日本にはリラクゼーションがあるようでない、そんな時間を日本の社会は過ごしてきたんです。
1994年~1995年、オーストラリアでの生活でそれに気付かされ、今からでも遅くはない、あのときお世話になった人たちへの恩返しじゃないけどきちんと日本へ伝えたい、そこが今に至る初動です。

24歳

スパとの出会い

30年前、オーストラリア・ケアンズ。
週末になると必ず、アウターリーフ(グレートバリアリーフ/GBR)に浮かぶ停泊船でダイビングの手伝いさせてもらいました。
「CAIRNS DIVE CENTRE」
働けないから(ワーホリとか就労ビザじゃなかったから)、手伝います、お金は要りません、その代わり潜らせてくれ!って交渉して、毎週働きながらGBRを潜った日々。
陸地に戻ってくると必ず大好きなビーチ「PALM COVE」に行って、寝転がって本を読んでた日々。
そんな日々の中で出会ったひとつのプール。
ビーチ近くのホテルのプールで、気持ち良さそうに入る紳士淑女を見ては、せっかくビーチが目の前なのに、こっちの方が気持ちいいと思うけどな。くらいなこと思いながら、一回くらい行ってみようかなと。当時決して安くない料金を払って入ったプール。
それほど見事なものではない、豪勢なランチいっといた方がよかったかなと、ブクブク頭から全身沈めたそのとき気付きました。
これ、温かい海水じゃん。
得も知れない気持ちよさと疲労回復感、そして体験したことのない感覚を覚えます。そこから急展開で、スパ、海水のスパ(タラソテラピー)、フランス、フランスの文化、テルメ、テルメの歴史を読み漁り、勉強する日々です。(当時は、Windows95が発売されたばかり。インターネットで検索などできない時代)
図書館で本を読み(英文)、日本から情報をFAXで送ってもらい(メールも普及してない時代)、なんとなくでもいいからインプットしたい。
そして辿り着いた結論は、これはリゾート地で提供される単なるリラクゼーションじゃもったいない、“働く人のため”のメソッドだ、日本の温泉文化とは似て非なるもの、是非日本にもこのリラクゼーションがあってほしい。でした。
また、スパやタラソテラピーの先進国がフランスであること、そして奇跡的にもそのフランスのスパブランドを日本に誘致する話しがあると友人が情報をくれて、即、帰国を決心します。
更に奇跡は重なり、街のバーで知り合ったおっちゃんから食事とベッドを提供するからその代わり農作業を手伝わないかと誘われ、帰国までバラ農園でバラを刈る仕事を手伝います。
そのバラの量、約2t。
少し話し違うじゃんwと思いつつ、食事や酒をふんだんに振る舞ってくれたしまぁいいかと。
数日後、お別れの日におっちゃんから、「この2tのバラは、これになるんだよ」と小指にも満たない小さな瓶を見せられました。
それは、バラの精油でした。
あまりにも少量の精油に驚愕しながら、自分でやりきった感あった仕事もこれだけのものだったのかと落胆する姿に、おっちゃんは、お前の仕事はこんなもんだ、と見せつけたのではなく、なにを落胆してる?と不思議がり、ここに価値を求める人がいて、ここに喜びや安らぎを求める人がいるんだ、みたいなことを教えてくれた優しいおっちゃん。帰国直前にまた一つ大事なことを教わった。
そして、より一層、リラクゼーションの世界に没入するエピソードでした。
そのバラ農園、化粧品ブランド「ジュリーク」(Jurlique)の契約農園だったことも後から知りました。

PALM COVE

RELAXATIONというドメインに込める思い

帰国して真っ先にやったこと、それは、強力な「ドメイン」を取ること。
日本を離れる1994年、航空券を手配したHIS本社には、ロビーにMacが1台置いてあって旅行商品を閲覧できるようになっていましたが、慣れないマウスを前にほとんど見世物状態だったことを思い出します。
海外に出てみると、インターネット界隈はもう少し先に進んでいて、帰国した頃には、日本はWindows急成長の世の中でした。

ドメイン、取っておいたほうがいいな。

取得したドメイン、50個のうちの2つがこれ。

noteに残しておきたいコト

どの時代にも「リラクゼーション」は絶対です。
スパやテルメがヨーロッパに根付いた背景を見ても、古代ローマ帝国の繁栄にそれらは存在しました。日本にだって、武将の隠れ湯みたいな温泉が各地にあります。
戦いや争いで負った傷を治し、被ったカラダの疲れを癒し、疲弊するココロを労わる、それらを適えられる温浴文化に「リラクゼーション」を求める一つの証です。
時代が移ろい、生活様式や価値観も多種多様に変化する現代において、「リラクゼーション」も人それぞれ違います。
それは、“旅のカタチ”にも表れています。
食べ歩き、景勝巡り、ショッピング、エンタメ、スポーツ、自然、聖地巡礼、世界遺産、自分探しetc…挙げたらキリがないですね。
Editer自身にとって、それは圧倒的に“スパ”巡りであり、それを取り巻く文化や環境も含めて、Instagramにpostしてきました。
振り返れば、2014年(アヴィニョン・フェスティバルのpost)から始まったInstagram、この10年間で多くのフォロワーさんと繋がり交流を深められたのも、そこにSNSの真髄、「共有」(share)することを楽しめたからだと感じます。

でも、専有、一方通行なpostだったらそうはいかない。
多くの旅行相談やグルメ相談を受けたことも、「共有」してゴール、そのときの喜びが先にあるから楽しめました。それは、日本人フォロワーさんに限らず、外国人フォロワーさんとも国境を超えて繋がり、それらは自身に共鳴してモチベーションになる。
そういうSNSの良い面は受け入れたいですね。
それを覚えたInstagram、難点はカテゴライズできなくて、検索しようにも過去を彷徨ってしまう。
これからは、カテゴライズして検索を容易に、共有を潤滑に、そして自身の備忘録的なコンテンツを始めたい。
大好きなヨーロッパのスパを軸にリラックスするコト、モノ、マチの情報が、これからそこへ向かう人への参考になればいいかな。
「share」は、「共有」以外に「分配」の意味も兼ねてますから。

コンセプトは、

“リラックスするコト、モノ、マチを創造する”
Create relaxing experiences, goods and communities.

長々とご清聴いただきありがとうございました。
これからの投稿は、ヨーロッパのスパ、リラクゼーション、グルメを中心にお届けしていきます。
よろしくどうぞ!!

シャモニー・モンブラン

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