子育ては自分の「こうあるべき」を打ち崩しながら自分自身の許容量を広げていくお仕事
こんにちは、小児科看護師ゆっこです🙂
前回、「家庭教育アドバイザーTERUさんの記事の通り、子どもに宿題をするタイミングを任せたら子どもが自発的に宿題をするようになった」という記事を書きました。
昨日も、約束通りお風呂上がってすぐにモリモリやる気を出して宿題を始めてくれましたよ!
半裸で!!!
半裸っていうか、パンイチね。たった布一枚履いただけで半分カバーできたつもりなんて図々しすぎやしないか?
そんなパンイチで真剣な表情で宿題に挑む息子に「先にパジャマ着てよ」と言いたいのをグッとこらえ、お風呂上がりに約束通りすぐに宿題に向かうことができたことだけに言及して褒めてあげられた私、超GJ!!
と思って友達に報告したところ
「うちの高校生が普通にパンイチで宿題を全くしないので、風呂上がりにすぐ宿題するなんて神童です!!」
って返事📩がきたwwwwwwwwww マジかよwwそっちかよwww
*
そう、私は風呂上がりはすぐにパンツ、シャツ、そしてパジャマを着るべきだという固定概念「こうあるべき」にいつの間にか縛られていた。だから、パジャマを着ていない=できていない部分もあるけども、そこには触れずにできたところだけを褒めてあげられた!GJと思ったのだ。
しかし、彼女は育児に関して10年以上先輩で子どもたちはすでに大きい。その先輩の背中の頼もしさたるや。
彼女はもうパンイチが普通になっていたのだ。私たちが子どもの頃から繰り返し言われてきた「風呂上がりはすぐに着なくてはならない」の固定概念を、彼女は育児の中でいつの間にか打ち崩し、パンイチの息子を受け入れてきたのだ。で、パンイチが普通になっていた。(彼女の名誉のために言っておくと、パンイチなのは息子だけ。)
*
これなんよな。
育児の中で苦しいのって、子どもと自分の意見が合わないとき。
その時って親の「こうあるべき」と子どもの希望とか主張とか欲求が合わない時で。
でも私たちは他人(子どもたち)の行動をコントロールすることはできないから、親もいろんな形で折れる。諦めたり、受け入れたり、不満は感じつつも仕方ないと思ったり。まあそうやって、自分の今まで築いてきた固定概念=こうあるべきを打ち壊し、打ち壊すことで親自身の許容量が大きくなっていく。(どれくらいまで子どもに譲れるかもその人(親)次第だからいつも大人が折れるべきというのも違う。)
育児は育自とか言われるのもこういうことからだろうな。
そしてこれが、健全な育児の姿なんだろうなと思う。
これを親が子どもをコントロールしようとしたりすると色々ヤバイ。程度の差はあれ、やりすぎるといわゆる毒親ってやつになるのかなと思う。これは子どもにとってはよろしくない。
*
それから「うちの子これできないな」って思うことがある時に「いいところ探しましょ」って言われてもそんな風に思えないときある。だって気になるんだもん。
でも、うちの子よりもずっと年上の子でも同じようなことするんだなってのがわかると、「じゃあうちの子がちゃんとできなくても仕方ないか〜」って思えることが結構あった。自分の子と歳が離れた子をもつ友達と話をすると結構安心できたり、こんなもんかと思えるようになった😂
*
今まで自分が親になるまでにたくさん「こうあるべき」を作りながら生きてきたけど、本当に「そうあるべき」ことって実はそんなに多くないと思う。だから育児の中でそれに気付いてたくさん打ち壊していけたら、そして「子どもってこんなもん」ってもっと思えればもっとお互い幸せかな〜と思いました。
余裕があればね!!そう思えるんだけどね!!
最後まで読んでくださってありがとうございます! \\\\٩( 'ω' )و //// 頂いたサポートは書籍代にします。