薬とアルコールが無いと本音が言えない
noteにまとめる、と呟いてまとめていないものがいくつかあるけれど結局新しくまた文章を書いている。
自殺未遂により1ヶ月近く入院し、一人暮らしの家を引き払うことになり実家に帰ることになった。
まだ左手が不自由とはいえほとんどの家事をやってもらっている罪悪感、一人暮らしの家から持ってきた荷物をせかせかと片付ける親、など要因は挙げたらキリがないが結果として実家暮らし3週間目にして限界がきた。
一人暮らしの家を片付けすると前々から言われていた日、うつ状態がひどくお風呂にも入れない状況であった。なかなか仕度をしないわたしを見かねて行動が荒くなる母に耐えきれず自室でオーバードーズをした。
まだ薬が効いていなかった頃、泣きながらうずくまっているわたしに母はもう今日は片付け行かないから、どうしたんだ、言わなきゃわからない、一人で抱え込むな、私もつらいと言って来たがそれが重荷だなんて言えるわけもなく寝かせてくれと頼んで一人にしてもらった。
少し寝たあとは覚醒し、夜になりコンビニへ行った。コンビニへ行こうとすると、母がわたしもついていくと言っていたが一人で行けると声を荒げた。
コンビニでは好きなアイドルがインタビューを受けていた新聞を買った。薬で朦朧としていても推しが最優先なのは相変わらずだ。
家に帰る気にならず、いつも外国の方がたむろしていて少し怖いと思っていたバーに入ってお酒を飲んだ。薬の力はすごい。
しかしお酒を頼んだ後にお金が足りないことに気づき、免許証をお店に置いてお金を家に取りに行きまたバーへ戻った。
3杯ほど飲んだあとは、記憶がもう途切れ途切れである。
薬を探すため部屋を荒らし、見つけたマイスリーを飲んで繁華街へ行こうとしていた。
部屋を荒らした物音で親が異変に気付き、父親に止められ男の力使うなんて卑怯だぞと母親に訴えた。
一人にさせてくれ、どうして夜飲みにいくことも許されないんだ、わたしはもう28歳だ、周りはもう結婚だってしているし自由にやっている、それくらいわたしにさせてくれというようなことを言った気がする。
実家に戻ることを承諾したのは○○じゃないかと言われたが、入院費を立て替えてもらってあれこれしてもらっている立場で拒否することなんかできるわけないだろうと、約2ヶ月思っていた感情もぶつけていた。
仕事の話になった際、お金のことは心配するな、ずっと非正規でもいいじゃないかと言われたが、2人が死んだらこっちは1人で生きていかなきゃいけないのに無責任なことを言うなと訴えた。2人は非正規の悲惨さを知らないからそんなことが言えるんだ、古い考えで勝手なことを言うな、ということを口にしていたと思う。
給料が少なくても食って生きていければいいだろうと父に言われたが、ひもじい思いをして好きなことを我慢するくらいなら死んだほうがましと泣きわめきた。
と、口論していたのはいつもツイッターで愚痴っているようなことだった。
現に派遣社員は、契約期間が終了したら傷病手当もそこで打ち切られる。会社はわたしの生活を守ってはくれない。