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ZERO WASTE FOOD

だしを取った後のしいたけ、いりこ、昆布。
賞味期限の切れた食べもの。
食堂などで残った、廃棄になるおかず。

こんなものを使って料理を作ると言うと、しみったれてるとか、ケチくさい、おばあちゃんみたい。そういうネガティブなイメージを持たれがちですが、当時付き合っていた恋人は、「すごい、素晴らしい!」と感心し、尊重してくれました。
彼はFreegan(フリーガン)でした。

※フリーガンとは、経済活動になるべく参加せず、出来るだけ物を買わずにすでにあるものを使い、最小限の消費活動を行う人のこと。ものを無駄にしないというところから、日本でいうところの「もったいない」と近いものもあります。フリーとヴィーガンの造語で、一般的に抗議活動は、食品関係が多く見られます。(ただし、彼はヴィーガンではありません。)

職場の廃棄になる食品や、少し傷んだり賞味期限が切れて捨てられてしまった食べものなど、毎日のように持って帰ってきてくれます。彼が拾ってきた(むしろ助けてきたと表現したい)もので色々作っています。創作意欲も駆り立てられます。

ただ、少し違ったのが、彼は「食べること」にわたしほど喜びを感じていなかったのです。そこでわたしはこう話しました。
わたしは食い意地がはってるから、食べられるものは全部食べたい。それに、食べものは、食べられるために育てられてきたのだから、おいしく食べられてこそだ、と。


子どもの頃から食べものが大好きで、好きな絵本はおいしそうな食べものが出てくるものばかり。初めて何かで表彰されたのは小学校1年生の時、自分のお弁当とその中身を作った作品。嫌いな算数の授業は、問題に出てくるフルーツやチョコレートのことを考えていました。

そんな食い意地のはったわたし。
食べられないどころか、調理もされずに捨てられてしまう食料。
食べ残されたり作り過ぎて、食べきれず捨てられていくごはん。
そういうものを考えると、胸が痛みます。
そんな大げさな、捨て猫や捨て犬じゃあるまいし、と思う人もいるかもしれません。ペットみたいに可愛がられるためではないけれど、食べものたちだって、食べられるために育てられ、生きていました。

わたしはシェフでも、農家でも、活動家でも研究者でもありません。ただのひとりの食い意地のはった人間です。数ヶ月の間だけ、ニュージーランドのいちご農家で働いていましたが、たったそれだけでも「食べものを作ることの大変さ」と「自然の強さ、恐ろしさ」を感じました。

食糧廃棄の理由のひとつ、出先で食べ切れず残してしまったもの。ニュージーランドではレストランなどでも通常の持ち帰りと別に、食べ切れないから持ち帰りの容器に入れて、という方が大勢います。日本では食中毒防止の関係からか(日本は湿温度が高く食べものが傷みやすいため、店側がリスクを取りたくないという思いも強いと思うのですが)、持ち帰りをしていない店側が利益にならない容器にコストをかけたくないからか、客側が食べ残しを持って帰るというのが恥ずかしいからか…あまり馴染みがないように思います。(ただ、使い捨ての持ち帰り容器より、自分で容器を持ち歩くのがおすすめです)

この湿温度はクセモノで、今現在では、持ち帰る客側がそれ相応に対応しリスクを取る、店側も声をかけるという方法しかないように思います。

大学院で「食とデザイン」の研究をしていましたが、専攻は視覚伝達デザインという分野でした。食に関する色々な実験はしていたものの、よそからしっかりとした参考資料や証拠を集めて理論立てるタイプではありませんでした。
ここでも、そういった情報を集めて紹介するのではなく、わたしが日々挑戦したり見つけた、食料廃棄を減らしていけるちょっとしたヒントをお伝えしていきたいです。

食料廃棄というと、自分にはまるで無関係なような「世界の問題」に聞こえますが、少し気にかけることで、無駄な消費を防いだり、過剰な添加物や加糖された飲食物を避けられる、という身の回りのことを変えてゆく一歩にも。

モットーは、楽しく、おいしく!

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madoka
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