「人より知っている」と思う傲慢さが好きではなかった。
私は、何でも知りたがる。
薄ーーーく、知った気になれるくらい。
名前を聞いて「あぁ!ソレ!知ってるよ!」と言いたい。でも中身まで知らない。
私は何かのオタクになったことがない。
オタクがうらやましい。
「たくさん物を知っている」と
思いたいが、自分より物を知っている人に出会うと自分が小さく見えて、恥ずかしくなる。
だから日常では、あんまり話さない。
私は美術が好きだ。
アートもデザインも。
絵画も彫刻も、グラフィックもプロダクトも。
同じくらいの知識量、もしくは自分よりも詳しい人といるときにしか、美術の話をしない。
美術に興味がない人に話しても共感が薄い。
そういう話をするとき、
前振りで「分かんないと思うけど、、」と
言ってしまう。
どうして私は上からなんだろう、と思う。
自分がもし、知らないスポーツの話を聞いたとき、相手が楽しそうに話してくれたら、きっと興味が湧くだろう。
なんで、自分が好きなものに話すことに、遠慮してるんだろう。と。
そして、なぜ相手がわかってくれない前提なのだろう。と。
自分の好きなものに、共感をされないと怖いのかも知れない。
先日、私が『皆川明が好き』という話をした。
皆川明のことを知らない人だった。
なんとなく、皆川明の説明をした。
なんとなく話したことだったので、自分も忘れた頃に、その人から『皆川明が日曜日美術館で特集されてるよ!』と言われた。
その時、『あっ』と思った。
繋がった。と。
私の好きが繋がった。その瞬間、この啓蒙活動も悪くないかも知れないと思えた。
私の小さな知識で、きっかけを作る。
オタクほどの深さはないけど、なんだか好きについて語っていいんだな、と自分の心が軽くなった。
もっと『知っている』を共有していいのかもしれない。自分の許容を広げる作業だ。
誰かが新しいきっかけを作ってくれるかもしれない。