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余白を感じる

 この文章もそうだが、もし文字が英語の筆記体のようにすべて繋がっていたらどう感じるだろうか。恐らく読みにくいに違いない。否、きっと読めないし、理解できない。文字と文字の間に適度な余白(スペース)があるからこそ読めるし、言葉として成立し、理解できる。この紙が言葉で埋め尽くされてしまえば、ただ真っ黒な紙だ。あらゆる本には周りに余白があって、この余白は決して“無”の状態ではなく、著者の意図が随所に隠れている。顕著なのは「詩」だと思うが、余白や行間などを創造(妄想)的に味わうのも楽しい。
 兎角、現代は情報社会であるが故に、情報をすぐに欲してしまうし、答えをすべて得ようとするが、余白のように“ない”ことにも価値がある。勿論、一見して“ない”ように感じるが、実はそこにはたくさん“ある”のだ。ただ見えていないだけである。見ようとしていないだけとも言える。サン・テグジュペリ著の『星の王子さま』に「心で見なくちゃ、物事はよく見えないってことさ。肝心なことは、目に見えないんだよ」とある。これはまさしく、核心を突いているし、好きな言葉の一つ。
 宇宙に存在する物質のうち、目に見えるのはたったの5%と言われている。見えないし、触れられないなら、感じるしかない。見えないことを如何にして味わうか。人間に備わっている五感をどう生かすかは、個々の領域でしかない。我々は、“同期自転”という現象により月の裏側を目にすることはできないが、月には裏側がある。目の前にあることが真実のすべてではなく、古人のように月の裏側を想像することも大切ではなかろうか。今、月はあるだろうか。それは分からない。昼間だから見えないに過ぎない。あなたの心に月があってもいい。こんなふうに、心に余白があったら素敵だと思う。
 「間を取る」は、適切なタイミングを図ることを意味する。たとえば、歌を歌うにも、楽器を演奏するにも、必ずブレスするときがある。息継ぎなくして歌うことは不可能だろう。しかも、息継ぎには適切なタイミングがある。また、料理をするときも、どんなことをやるにも手順がある。それを間違えると、失敗に至る。だから、その手順に慣れるように、何度も何度も繰り返し、体に覚えさせる。繰り返してこそ、熟練の域に達する。近道などない。
 一転すると、どんな事物にもそれが起こる流れ、そして完璧なるタイミングがある。つまるところ、何もかも起こるべくして起こる。あなたはこれから何を目指すのか。勿論、どんなことを目指していてもいい。目指すものがなくてもいい。それは紛れもなく、あなたの今の姿だ。
 では、想像してみよう。具体的に言うなら、5年後(1年後でも、10年後でもいい)の自分を想像し、その自分は今の自分に何を訴えるだろうか。その内容(答え)が書かれた手紙・贈り物は、ポストに届いている。それに気がつくかどうかはあなた次第。あなたはたくさんのものを持っている。持っているものに感謝し、それを生かし、今の人生を大いに楽しんではどうだろうか。

 상상해 봐 뭐든지   想像してみて なんでも
              (Red Velvet『Feel My Rhythm』)


🎵 人生いろいろ。人の色もいろいろ。対話を楽しもう~ 🎵

 2年生の「総合的な探究の時間」で挙げられたプチ探究を少し拝借して、その問いをもとに自分が感じたことを書きます。今後は皆さんから「問い」をいただき、答えてみたいと思います。

【Color 1】自分が似合う色と好きな色は一致すると考えますか。
【A】この通信にぴったりな「問い」ですね。しかも、面白い発想だと思います。確かに一致しないといえるでしょう。私は高校時代には、服に興味がなかったので、白か青系統の服しか着たことがありませんでした。でも、今や赤、ピンクとかも着ることがあります。着ることに慣れると、体にその色が染みてくるんですよね。なかなか不思議です。だから、好きな色に執着して決めるのではなく、冒険してみるのもいいのではないでしょうか。
 顕在意識(意識)と潜在意識(無意識)という言葉が心理学にはあります。これはよく氷山で例えられますが、海上にある氷山は沈んで見えない部分の一角でしかありません。顕在意識は3~10%であり、潜在意識は90~97%と言われています。あなたが着ている服や雰囲気(オーラ)は、実は潜在意識の表れ(顕現化)なのです。身なり、身のこなしはとても大切だと認識しています。そういう意味でも、色を探究することは自分を知ることになりそうです。

【Color 2】ペットとして飼われている動物は「家族」と定義してもよいと思いますか。
【A】なるほど、素敵な感性ですね。このような素晴らしい感性を大切にしてほしいです。
 さて、先日、洗濯機が壊れて、脱水ができない状態になりました。家がガタガタ揺れ動くほどの振動でしたので、騙し騙し使っていた感じです。7年くらい使いました。そこで、急遽、ケーズデンキに行き、洗濯機を購入しました。なかなかのお買い物です。家に来た新しい洗濯機に、私は「今日から宜しくね」と声をかけました。もちろん、今までの洗濯機には「今までありがとう」と感謝を伝えました。私にとっては、洗濯機も立派な家族なのです。毎日、洋服を綺麗にしてくれるわけですからね。人だけでなく、そういうモノへの感謝の気持ちを持つことも大切だと思っています。
 約7年前、自動車事故を起こした(これにまつわる話は追々書いていく予定です)ときも、車があったからこそ助かっています。修理することもなく廃車の状態になってしまいました。車さんに対して「助けてくれて、ありがとう」と感謝の意を伝えました。
 このように、家族は人である必要はないと思っています。ましてやペットには“いのち”があります。家族として捉えてもらった方が、きっとペットは喜びますよね。ペットという言葉がそもそもしっくりしませんが、仲間でもあり、家族の立派な一員だと思います。

【Color 3】現代社会において言葉を使わなくても日常生活を送ることができると思いますか。
【A】個人的には難しいと考えています。確かに、ジェスチャー、音楽など、それに代わるモノはたくさんあります。しかし、人間がここまで進化(?)してきたのは、“言葉”という文明が発展してきたからこそだと思います。因みに、赤ちゃんは親から言葉を教わらないと、人間が人間らしく生きられないともいわれています。狼に人間を育てることはできないのです。そして、 親からの愛情がないと子どもは絶対に育ちません。栄養だけが与えられれば“育つ”ということはないのです。そういう意味でも、親子にとっては触れ合いが非常に重要なのです。
 医療総論では山口創著『人は皮膚から癒される』をテキストにします。私は触覚が優位に働いていると思っていますが、みなさんはどんな五感が優位に働いているでしょうか。

2023.4.21

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