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ココロのトビラ

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令和4年度に授業で配付している<通心>です。週一で発行予定。
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#タイミング

すべてはひとつ、そしてここにある。

 ヘルメス・J・シャンブ著『“それ”は在る』を読んで、世界とのあわいに周波数を合わせるべく自己対話する。これぞまさしく一元性の探求であると分かった刹那に、昔の番組を想起する。1980年代に放送されていたバラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』である。父親役の欽ちゃん、そして息子のフツオ、ヨシオ、ワルオとの会話で成り立つのだが、テンポの良さに懐かしさを覚えつつ、クスクスと笑いながら(笑いはいいクスリである)も、いい子ちゃんとか、普通の子とは一体何だろうと改めて考える。結局

運命をどう感じるのか?

 授業「看護総論」において、個々のテーマに基づいて対話を行った。「仲間、友だちと関わることで得られるものはどういうものか。」「向いている仕事、興味のある(好きな)仕事のどちらに就きたいか。」「過去、現在、未来のどれを大切にするか。」どれも哲学的問いであり、興味深くてワクワクする内容なので、対話するには50分では全く足りなかった。しかし、高校生として色々な考えを持っていることに驚きつつ、多面的なまなざしを持ち、相手の意見を受け入れていることに感嘆した。目指す看護師として、否、人

いのちとの出逢い

 韓国ドラマ『トキメキ注意報』『ショッピング王ルイ』を愉しく観終え、日本ドラマ『リコカツ』を家族で観始めているが、人の出会いに“運命”を感じてしまう。まさしく、それは現実でも同じである。一回性の人生において、誰と出会うかはとても大切なことだ。人に限らず、本やモノであってもいい。何であっても、その人の人生においては素敵なこと。しかし、何もせずに待っていたところで人生を変えるような出会いの契機が訪れるわけではない。まずは挑戦的に(自分が思ったように)動き出してみることで、流れが変

「ない」ことに価値がある

 司書さんが薦める『失われたドーナツの穴を求めて』が教務室前の廊下に展示されていたが、この本を4年ほど前に取り寄せてもらい読んだことがある。ドーナツの穴は、ドーナツがあるからこそ存在できる。穴だけを手に入れることはできない。同じように、表だけのトランプを求めることも不可能だ。つまり、これこそ非二元論の話なのだが、表があれば裏もある。正しいことがあれば、間違いもある。善があれば、悪もある。でも、それらはきっちり分けられるものではなく、常に一如。  この1年間、とりわけ近々の2カ