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ココロのトビラ

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令和4年度に授業で配付している<通心>です。週一で発行予定。
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#本質

ココロは今、熱く動いている

 料理をすることが楽しい。妻の負担を軽くするため作るようになったが、久しぶりに観てキュンとしたドラマ『私の家政夫ナギサさん』(2020年放送)に触発される。ナギサさんの家事力以上に、心温まる雰囲気やら多様なものに対する受容力・共感力に憧れる。大学生のときはレシピ本を見て作ることは殆どなく直観で(目分量で)作っていたのだが、レシピを参考しながら作るのも楽しい。  土井善晴著『料理と利他』を筆頭に、さまざまなジャンルの本やドラマ、そして最近では調理師免許を持つ地歴公民科教員に感化

「本質」はいったい、どこに?

 「今、あなたがやっていること(趣味など)は、好きだからやっているのか。もしくは、楽しいからやっているのか」について、自問してほしい。私は「それがなぜ好きか」と問われたら、少し戸惑い始める。つい好きだからやっていると答えてしまいそうだ。しかし、それを本当に好き、楽しいといえるか。ある程度は説明できるかもしれないが、それは認識(知覚)できることに限る。  誰しも好き嫌い、はたまた得手不得手はあるだろう。心理学では「知覚的流暢性誤帰属説」すなわち“理由は後付け”といえる説があって

「ない」ことに価値がある

 司書さんが薦める『失われたドーナツの穴を求めて』が教務室前の廊下に展示されていたが、この本を4年ほど前に取り寄せてもらい読んだことがある。ドーナツの穴は、ドーナツがあるからこそ存在できる。穴だけを手に入れることはできない。同じように、表だけのトランプを求めることも不可能だ。つまり、これこそ非二元論の話なのだが、表があれば裏もある。正しいことがあれば、間違いもある。善があれば、悪もある。でも、それらはきっちり分けられるものではなく、常に一如。  この1年間、とりわけ近々の2カ

見えないチカラ

 愛用バッグが壊れ、ついに新調。ポケットが好きで、たくさん収納できるバッグ(SUNOGE)を購入。ただ、どこに物を入れたか忘れる始末(笑)漸く慣れてきたが、果たして使い切れるのか。  我々は、見えなくて、実態の不明なモノである「力」を抗ったり、怖がったり、ときにはそんな力を欲する。たとえば、便利には力がある。大概の人はこの力を欲する。数百年前までは歩いていたのに、現代では出かけるのに車は必須になった。また、手紙はいつぞやメール、LINEに変容した。便利という名のもとにスピード

言葉の器

 I am interested in the game.という英文構造にふと疑問を感じる。“興味を持つ”というのは行為であるのに、なぜ過去分詞を使った受動態なのだろう。勉学の基本は大概あるがまま受け入れるところから入るが、そこにメスを入れる。つまるところ、本質に目を向けてみる。それが本来の勉強だと考えている。さて、この疑問について英語の先生がどう捉えているのか伺ってみた。親切に対応してくださり、たくさんご教授いただいた。ありがとうございます。  英語圏の人の感覚では、感情動