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映画『グレース』を観る

上映を知ったのは、たまに行くミニシアターのポスターだった。
ロシアの作品が上映されるのはめずらしい。
ここ数年、この国の名を新聞の紙面で見ない日はない。
TVやラジオから流れるニュースでも、聞かない日はないと思う。
この国のことを私は何も知らない。
他の国のことは知っているのかと問われれば、そうでもない。
知っている、知らないという前に、私は今までロシアに興味を持つきっかけがなかったのだと思う。
ロシアの人と関わったことがないのだ。

NYで暮らしていた頃、いろんな国の人たちと出会った。
あの街は世界中から来た人たちが暮らしてた。
私もその中の一人だった。
誰かと、何かのきっかけで会えば話すし、行動をともにすることもあった。
その誰かは、どこかの国から来た人だった。
でも、ロシアの人に会った記憶がない。

去年、仕事で初めてロシア系の人と出会った。
彼はエストニアの出身だった。
「ロシアのおばあちゃんの家と同じ」
彼がそう話した時、エストニアのすぐ近くにロシアがあることを実感した。
頭に地図が描けなくても、その口調から二つの国の近さがわかった。
ロシアには彼の親族や友人がいて、それは自然なことなのだ。
日本に来て10年とのことだった。
パートナーは日本人で、私たちは三人で何度も長い打ち合わせをした。
私は彼らの新居の内装を担当していた。
フローリングを選ぶ時、彼はヘリンボーンの床材を見て「おばあちゃんの家の床と同じ」と言ったのだ。
聞けば、小学校の床もそうだったらしい。
ヘリンボーンの床材は、彼にとって見慣れすぎて古臭く感じるようだった。
個人宅のインテリアは住む人の好みが色こく反映される。

私とロシアの接点はその程度だった。
映画を見て、彼を思い出した訳ではない。

ずいぶん前にここで『ロストロポーヴィチ 人生の祭典』を観た。
あれもロシア映画だった。
私は彼のCDを何枚か持っていた。
ミッシャ・マイスキーはラトビア出身だった。
音楽の方が、私はロシアとの接点があったのかもしれない。

『グレース』はロードムービーだった。
16歳、大人になる途中の彼女の苛立ちが、遠い私と交差した。
広い大地、道はどこまでも続くのに、自分ではどこにも行けずにいる不自由さ。
自分では選べない人生…
グレースに、あの頃の私に伝えたい。
時間は必ず過ぎる。
その時が来たら、自分の人生を生きられる人でいて欲しい。

次回は『BLUE NOTE』


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