THE SECOND 2023 ~漫才トーナメント~ 感想・批評 (後編)
<準決勝:第1試合>
【先攻:マシンガンズ】
二本目の漫才の方が、一本目よりも面白かった。結果的にアドリブ感が強くなった漫才。
一回戦でも猪突猛進気味だった滝沢さんに対し、西堀さんが我に返るようなシーンがあったが、準決勝はそれに拍車が掛かった。西堀さんが浮かべる呆れ笑いが、ネタとネタの間のつなぎとして、いい塩梅になっていた。
また、松本さんが問題提起した「プリント用紙」を持ち出したことについても、反則、反則じゃないは置いておいて、それがあることによって面白くなっていたと思う。厳密に言えば、面白くなっていたというよりは、「プリント」がなければネタに出来ないだろうというくらいレベルの低いボケが、披露出来るところにまで引き上げられるようになっていた。
迫真性(リアリティー)を持たせるためには必須アイテムだったと思う。
その手前にあった「大学の文化祭」のくだりは、細かく言えばショートコント(動きのある笑い)の羅列。しかし、「プリント」を手にした「Yahoo!知恵袋」のくだりは、読み上げたことに対してツッコむだけなので、「うるせえっつうんだ馬鹿野郎!」と返した、一発目の「マシンガンズが大っ嫌いなんですが皆さんどう思いますか?」というボケ(質問)は、そのボケ自体はつまらなかった。
おそらく、「プリント」というアイテムがなければ、ボケの落差(レベルの低下)によって、一定数の観客・視聴者がここで逃げたのではないか。
ネタ時間が6分間あるので、結局別のネタを一からやっている。流れを一から作っている。その流れを壊さないための意味が「プリント」にはあったと思う。
ただ、そうは言ってもマシンガンズも大したもので、「ツッコんだ後に手を挙げるのが嫌い」というボケ(質問)に対し、ツッコミを入れるだけではなく、手を下げる様まで実践するところはさすがプロである。
[個人的採点]
3点満点:2点
100点満点:83点
【後攻:三四郎】
正直、一本目最高の278点(?!)を叩き出した漫才より“ネタらしいネタ”で面白かったと思う。途中までは、確実に一本目より面白かった。
「小宮さんに憧れる」くだりで、「有吉ぃぃeeeee!」がまんま「有吉」にしか聞こえなくて、ほぼネタばれしていたりもしたが、相田さんの「こっち一般人だアホンダラ!」や、雨に打たれて「ショーシャンク噛ましている」ところなど、勝負していると感じた。
「だから(相田から三四郎にハマったなんて)そんな奴いねえんだよ!」と完全に相田さんに正対し、相田さんを難詰したところで、90点はあげられる漫才だと思った。が、しかし、後半で急落した。
「TKO」のボケで小宮さんがふわふわしたところもさることながら、「ウエストランド」のくだりでの身内過ぎる感といい、相田さんが「THE SECOND」のことをまるで知らないお笑い音痴を露わにするボケなど、本人たちが自覚するように“エアポケット”に入っていた。
どうして、「THE SECOND」の漫才時間が「3分」であるとか、放送時間が「3時間」であるなどといった微妙なボケを続けたのだろうか?
また、今大会は全般的にウケを狙いにいく“面白いツッコミ”が、何故か上手くハマらない大会でもあった(金属バットもこの範疇に入っていたと思う)。
シンプルなツッコミがあって、笑いが返ってくる。にもかかわらず「お笑い音痴」のくだりは、ひたすら相田さんを泳がせて進み、基本ツッコミさえなかった。ボケが軽い上に、観客との相性の悪さもあっただろうか。
「古(いにしえ)だなあ、入り方!」や「丹田から何言ってんだよ!」、「与太並べてんじゃねえよ」といった小宮さんの“らしい”ツッコミがウケていれば、違った印象の後半戦だったのかもしれない。
[個人的採点]
3点満点:2点
100点満点:84点
[審査結果]
先攻:マシンガンズ 284点
後攻:三四郎 256点
三四郎が何とか躱し切ったかと思ったが、マシンガンズの圧勝だった。
ただ、観客とのグルーヴ感のみで考えると、この点差もしょうがないのかなという気がする。三四郎が勝っていただろうと訴える気にはならない。
マシンガンズの「プリント」に関しては、観客の大半が問題とせずに採点したと見ていいだろう。大会の傾向的にマシンガンズが有利そうだということもあり、グランプリファイナルの最高得点と言われてもピンとはこなかったが、後々考えると驚異的な得点。
個人的には、一般人による審査とはいえ、減点を考える観客がいても不思議ではなかったと思うし、減点をしていたとしてもよかったと思う。それくらいはっきりと、マシンガンズは「プリント」を読んでいたように見えた。
しかし、ここで一つ思うのは、超新塾の漫才でもオチで扮装用の小道具を使っていたということだ。だが、にもかかわらず問題点として引っ掛かりを覚えたりはしなかった。
この問題をどこで線引きするかと言えば、道具を使うか使わないか——有りか無しか——、が本質だと思う。
その上で両組の違いと言えば、小道具を使っていた「時間」と、それを「言葉」として利用していたかどうかになるだろう。長時間使っていたのは当然マシンガンズだし、「読む」という形で利用していたのもマシンガンズだった。
「プリント」を「読ん」で漫才をするというのは、言い方を変えれば朗読である。「カンニングペーパー」があったということだ。引っ掛かりやすいのは断然マシンガンズになる。
しかし、これを「コント」との差別化で考えるならば、超新塾は許されてマシンガンズは許されないという線引きにはならない。扮装用の小道具を使うという“視覚的笑い”の方が、より「コント」的であるからだ。
この辺りをどう考えるべきなのか?
結局のところ、個人の価値観に委ねられているとしか言えないのだと思う。
「カンニングペーパー」の方が卑怯だと思えばそう評価すればいいし、「扮装道具(視覚による笑い)」の方が卑怯だと思えばそう評価すればいい。笑えれば何だっていいという人もいるだろうし、眉を顰めるにしてもその加減のほどは人それぞれである。
放送時間内という制約があるとはいえ、事実松本さんも超新塾に関しては言及していない。
そして余談になるが、三四郎の一本目の前半と二本目の後半を繋ぎ合わせると、今大会最低クオリティーの漫才になる。
<準決勝:第2試合>
【先攻:囲碁将棋】
“惜しい”という感想が湧き上がる漫才。
ネタ=「台本」は面白かったと思う。
漫才の構成は見事というしかない。
ただ、それを伝えきれているのか?と、思う。
個人的には、一回戦の漫才の方が面白かった。審査結果としては準決勝の漫才の方が高得点であり、よりオーソドックスな形に近い掛け合いの漫才。また、だからこそ得点は高かったのかなという気もするが、だからこそ自分には単調な漫才に聞こえた。
別に、オーソドックスな漫才が退屈だと言いたいわけではない。斬新なフォーマットが必須事項だなんて思ってはいない。だけど、ツッコミのやり方が一本目の漫才ほど合ってはいなかった。
根建さんのツッコミは、力いっぱい声を張り上げるスタイル。シンプルなツッコミがハマっていた今大会、そのツッコミがスベっていたなんてことはない。
ただ、より違和感なく漫才の内容と合っていたのは、お互いが出しゃばり続ける形だった一本目の漫才だった。オーソドックスに近い二本目の漫才は、より自然なお喋りに寄せた抑揚が必要だったと思う。
また、一本目の漫才と違って二本目の漫才にはつかみがあった。それ自体、問題ではなかったと思う。しかし、すぐあとにラーメン屋を飲食店の中に加えなかった文田さんに対し、「ラーメン屋をちょっと舐めた言い方しなかった?」と窘めるような口調に留めた根建さんは、さらに「(ラーメン屋は)簡単そうじゃん」と続けた文田さんに対して、「それが舐めてるんだよ、てめぇ」と強めにツッコんだのだが、ここに違和感があった。
どちらに強くツッコミを入れるかと言えば前者だろう。飲食店の中にラーメン屋を加えないという発想の方が暴挙だ。
ギクシャクとしたスタートだったと思う。「コイツらは面白い」という一本目で植え付けられた“強さ”を踏まえても、「85点」程度の漫才として観始めた。
また、囲碁将棋は面白いことが思いつき過ぎるのかもしれないとも思う。今大会の囲碁将棋は、大会を通してボケの文田さんが「生意気」過ぎるというキャラ付けで、漫才を披露していこうと思っていたはずだ。しかし、それが必ずしも伝わっていたかと言えば、そうではなかったような気がする。
「生意気!」というツッコミが漫才の縦軸になっていたわけだが、その縦軸を通すまでの間に横の面白さを膨らませ過ぎるので、「生意気さ」が意外に映えていない。だから、生意気に理想を追い求める文田さんに対し、手堅さを保守的に追い求める根建さんという、終盤における構造的な面白さも映えて見えない。
少なくとも、初見の段階では「何でボケとツッコミを入れ替える必要があるのか?」——見にくいな、とそれをマイナスに捉えていた。オーソドックスな型なら、6分間最後までオーソドックスで完結しろよ、と。
だからこそ、“面白い”を詰め過ぎなのではないかという気がする。別に、分析すると意気込んで漫才を観ているわけではないわけで、あくまで楽しむために漫才を観ている。あれこれと考えるのは余韻を経てからだ。
ネタのポテンシャル的には、二本目も「95点」クラスの漫才だったと思うだけに“惜しい漫才”だった。
[個人的採点]
3点満点:2点
100点満点:89点
【後攻:ギャロップ】
“やっぱり”面白かった。
——やっぱりという表現でいいと思う。
あえて対比させるなら、囲碁将棋とは二本目にして一回り違う上手さを見せつけたと思う。
正直、ネタとしてはけっこうベタ。
言ってみれば“電車あるある”に過ぎない。
しかし、それが林さんの表現力と毛利さんの自然なツッコミで、見違えるように面白くなる。
一本目の漫才との違いとしては、林さん主導で話を始めたという点。毛利さん(ツッコミ)の提案・アドバイスに対し、林さん(ボケ)がうじうじと否定・反発する形ではなくなったので、ブラックマヨネーズ感はなくなった。しかし、技術と林さんの着眼点は健在。
捕まる棒の位置にポジショニングし続けたいとか、ブラインドを下ろしたい側に下ろす主導権がないとかなど、面白い“あるある”。おじいさんに席を譲るくだりでの毛利さんへのイジり方も良かった——「結果、一席死ぬんです」。
ただ、ラストに向けての“あるある”がベタ過ぎたので、(100点満点で)1点マイナス。
[個人的採点]
3点満点:3点
100点満点:94点
[審査結果]
先攻:囲碁将棋 284点(3点・84人)
後攻:ギャロップ 284点(3点・86人)
※3点を多く取ったギャロップの勝利
個人的には差のあった二組だったと思う。
より面白いと感じたコンビが勝ち上がってくれたのは良かった。
重複になるかもしれないが、囲碁将棋はボケ数を減らした方がいいのかもしれない。
<決勝戦>
【先攻:マシンガンズ】
これまで確実につかみから漫才を始めてきたマシンガンズ——誇張した言い方をすれば「つかみ漫才」の漫才師——だったが、決勝戦のつかみが一番良かった。
技術的に言えば同じことをニュアンスを変えて言っていただけだったりするのだが、“生っぽさ(アドリブであるという説得力)”がそれを押し切った。
三本目のマシンガンズが、個人的には一番面白いマシンガンズだったと思う。
二人して「明日からモテるぞ」とはしゃぎ合っていたところなど、今大会一番面白いマシンガンズのボケだった。興醒めする言い方をすれば、これはアンガールズの笑い。ゴリ押しのマシンガンズが瞬間的に“ジャンガジャンガ”を披露したのが面白かった。
つかみから終盤にかけて、今大会初めてマシンガンズの漫才を90点以上と評価してもいいかと思った。が、終盤で白けた。
漫才のテンションこそ保っていたものの、アドリブっぽさで突っ切っていた中、最後明らかに“用意していたネタを始めます”に帰って行ったことに、気持ち悪さを感じてしまった。
漫才の定義を「芸術」や「作品」だとする気はないが、取って付けたようなネタへの回帰は、あまりにも場当たり的だった。気取った言い方をせずに言えば、最後に披露した握手を求めてくるファンのくだりはつまらなかった。
また、これはナイツの塙さんもおっしゃっていたが、三本目もあえて「カンニングペーパー」を持ち込んでいても良かったのではないか?
言ってみればつかみが「松本批判」だったわけで、マシンガンズがよりマシンガンズらしさを発揮するには、松本さんの逆をやっていても良かったと思う。
また、「松本人志」を縦軸に漫才を完結させられていれば、「松本人志・漫才」という一本のネタとして完成させられていたかもしれない。きっと中途半端な印象にはならなかっただろう。また、それだけネタ(ありもの)からフリートーク(アドリブ)へと、漫才中の比率が移行していくところが美しかった。一本目より二本目。二本目より三本目。
最後、アドリブによる「松本漫才」が完成していれば、伝説になっていたと思う。
[個人的採点]
3点満点:2点
100点満点:86点
【後攻:ギャロップ】
圧巻。
上手いし、面白いし、何の問題もない。
仮にマシンガンズが、「松本漫才」を完成させていたとしても接戦だったと思う。
一つのボケのために、ひたすら長い長いフリを見せられる漫才——「長い長いフリ」がボケになっているという漫才——だったのだが、「長い長いフリ」自体が十分に面白い。
これまで、林さんの方をより大きく褒めてきたと思うが、決勝戦は毛利さんの上手さ(受け)こそ際立った。コンビ両者が、ここまで技術的に抜けている漫才師はそうそういないと思う。
言うまでもないが、決勝戦の漫才は林さん一人で成立しているわけではない。相方が毛利さんでなければ、大惨事になる可能性を秘めた漫才である。
上手さだけで言えば、今大会№1はギャロップであったと断じる。
種類こそ違うが、その双璧に近かったのがスピードワゴンだった。
ほかの漫才師は、この両組からは差がある。テンダラーも差がある。
改めて、凄い漫才だった。
[個人的採点]
3点満点:3点
100点満点:95点
[審査結果]
先攻:マシンガンズ 246点
後攻:ギャロップ 276点
優勝はギャロップ——言わずもがなの結果。
マシンガンズの低得点——今大会最低点(246点)——に関しては、意外だと言われれば意外だし、納得だと言われれば納得。
オリエンタルラジオの中田さんも言っていたようだが、松本さんの存在が低得点に繋がった部分はあったと思う。だから「カンニングペーパー」を持ち込んできたとしても、それが笑いになったか(笑いにはなったと思う)、高得点になったか(ここは本当に判らない)は判らない。
ただ、松本さんの影響を抜きにして考えれば、ネタとして用意してきた部分以外の要素が、あまりにも強過ぎると評価されたのかもしれない。
あくまで、隠し味としてのぶっちゃけ(アドリブ)——「優勝させてくれ」など——はいいが、それが表に出過ぎてしまうとくどい。
“捲り笑い”が多過ぎたことは否めない。結局、それが1パターンの笑いとして捉えられたのだろう。
【総評】
大会として、テレビ番組として、“臭み”のないいい大会だったと思う。第一回でこの完成度はさすがとしか言いようがない、と、誰かが言っていた(佐久間さんだったかな)。自分もその通りだと思う。
ただ、ここではあえて審査方法について言及したい。
ベスト32から16、16から8と二回の戦いを経て迎えたグランプリファイナルだったが、ブラッシュアップされた点として、得点を入れるタイミングが対戦した両組の漫才が終わってからになった。先のベスト32・16と二回の漫才を観たわけではないのだが、一つの漫才が終わるたびに採点をしていった結果、勝利した多くの漫才師が後攻だった。
これは、いくら「絶対評価」で得点して下さいとアナウンスしていたとしても、先攻は様子を見たいという心理が働いてしまったがゆえだと思う。そもそも、対戦形式を採用している時点で、「相対評価」という感覚を完全に剥ぎ取ることには矛盾がある。
だから、この審査方法は問題があると思っていた。「対決」に拘るならば、シンプルに面白かった方に投票する形にすべきだ、と。
ただ、今大会を観ていると、両組の漫才が終わった後での採点に、違和感はなかった。あくまで採点方式を残し続けたことは、大会=競技性の洗練さではなく、テレビ番組としての娯楽性——別の対戦者同士との比較うんぬん、「事実上の決勝戦」はどうこう——だったとは思うが。
だが、だったらと翻す形で、別の改善点が必要になるのではないかとも思う。
自分が100点満点で採点していたのは、当然Mー1の名残である(Mー1はMー1で今もあるが)。
ボクシングの12Rを採点したり、サッカーをスコアではなく内容で見比べたり……。Mー1も然り。素人でもそんな人はたくさんいる。
とはいえ、100点満点を同時進行で採点するのは重荷だ。だったら10点満点でいい——と考えると、「5点満点法」で無理があるなんて言うことはないと思う。
正直、今大会の「3点満点法」は、事実上の「2点満点」になっていたと思う。というのも、これを10点満点に置き換えると、「2点(面白かった)」は6~7点の感覚で、「3点(とても面白かった)」は9点以上の感覚。それに対し、「面白くなかった」とする「1点」は、2点ほどの感覚だ。もちろん、だったら4~5点は何点なの?と思われる方もいるかもしれないが、伝えたいところはそこではなく、「3点満点」の中にある1点の点差が均等ではないだろうということだ。
きっと、大会側はそのことも見越した上でこの審査方法にしている——「事実上の2点法」——とは思うのだが、しかし、この幅の狭さはどうなのだろう。審査をし易くするために、この歪な「3点満点法」にしているのだろうが、果たして本当に審査はやり易いのだろうか?
自分なりの価値観や好みを表現するには、100点満点の方がより丁寧だったと思うのだが、これを大会規定に沿った「3点満点法」だけで評価した場合、「3点」はスピードワゴンと囲碁将棋の一本目とギャロップの三本になり、ほかは全て「2点」で、「1点」は無い。
マシンガンズの一本目——自身最低点(81点)——に「2点」を付けた時点で、その後「面白くなかった」と言い切れる漫才及び漫才師はいなくなった。しいて言えば、「キングオブコメディ」をぶち込むまでの三四郎。それ以外は軒並み「2点」。取りあえずの感さもありなんの「2点」。
しかし、これが5点満点だったらどうだろう。もっとノビノビと採点が出来たと思う。間にある1点の点差も、より均等に配置されただろう。そして、「5点満点法」だったなら、全てにおいて今大会はどうなっていたのだろうと少し思う。
「3点満点法」は、採点する側からするとキツイ。採点しにくい。——次回以降があるのなら、そんな審査員を一般の人から集めるべきだと思う。
これは、大会側に突き付けられた問題というよりも、観客側、一般の人たち側に向けて突き付けられた問題であるとも言える。
「5点差で審査することも出来ないような観客は観覧に行くな」
——今後、そんなスタンスで大会側は臨むべきではないか。
また、度々Mー1を言葉として出してきたことも踏まえ、あえて同じ「漫才」として同列に比較すると、「THE SECOND」より「M-1グランプリ」の方がレベルは高かった。
個人的に、リピート再生に耐え得る漫才をしているのはMー1である。Mー1に比べれば、何回も繰り返し聞きたいという漫才の大会ではなかった。
あくまで、今大会の漫才をMー1に置き換えたならば、決勝戦に残る可能性があるのは、ギャロップ、囲碁将棋、スピードワゴンだけだろう。ほかの漫才師は、正直厳しい。
だから、霜降り明星の粗品さんが、自身のYouTubeで「15年以内に成功していない人らの大会」と発言し、軽く炎上したという記事を見ても、その気持ちを想像することができる。
霜降り明星、引いてはMー1に懸ける漫才師たちは、より斬新な漫才、より新しい漫才と、漫才と戦っている。
もちろん、だからそれがそのまま面白いと言いたいわけではなく、3分で出来た漫才が面白ければ、別にそれでいい。しかし、結果として「Mー1に懸けた漫才を作っている漫才師の漫才」の方が、自分は面白いと思う。
今でも青春の只中にいるんだなと感じさせたスピードワゴン・小沢さんに自分は嬉しくなったし、「Mー1をやってた」からこそ自分は凄いなと思った。——「熱にうなされたままじゃん(笑)」
また、囲碁将棋が優勝しなかった点も良かったと思う。
完成度ではギャロップに負けていたわけだが、だからこそ伸びしろがある。
別に生意気なことを言ってるとは思わない。お笑い界として、健全な形で次回以降へと橋渡しが出来たと考える(だからと言って、次に囲碁将棋が勝つかなんて知らないが)。
そして、三四郎は「自分たちが面白いと思う漫才」が、今大会の漫才だったのだろうか、と頭の片隅程度には思ったりする。