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備忘録つづき納め
備忘録⑨
松本人志の訴訟取り下げは敗訴に等しい。文春が正しかったことになる。それで、何で松本が芸能界に戻れるの?永久追放しかないでしょ?
— 前川喜平(右傾化を深く憂慮する一市民) (@brahmslover) November 9, 2024
期せずして見つけた発言。
あくまで個人的な感情になるが、馬鹿に自分とは違う考え方を持っていてもらうと、安心出来るところがある。
「そっちに行ってくれるなら大丈夫だ」
看過出来ない“視野の狭い”記事が流れる。
すごく単純なこと(論理)—―わざと気付かないふりをしているだろうのか?
それとも本当に気付いていないのか?
当然、みんなも同じように小学校には通っていたと思うのだけど、当時の方が、横の奴、前の奴、後ろの席、斜めの席、同じ班、別の班、女子が多数派の係、友達といっしょだった係……一人ひとりに対して、“違い”はないと思っていた。
だから、ナイーブな少年または少女の心も、“たかが自分との違い、されど自分との違い”に、抉られる。
「ファミリ―コンピュータのカセット」における貸し借り――流れで「窃盗」——において、価値観の差を強く感じさせられた。通称「借りパク」。
妙な話、“借りパク”という言葉を知ってからの方が――共有スラング――、盗んだ方も、盗まれた方も、心の負担は減っていたと思う。
だが、“単純な論理にさえ気付いていないのか?”と、SNSやYoutube等に溢れる短文書き込みへ触れる機会が多くなった今、思う流れで――「同じく小学校を卒業しているだろうはずなのに、最低限のロジックにさえ気付かない?気付けない?人がいる—―いた?今も、当時も、変わらずにいた?」——やや困惑。やや恐怖。
ナイーブな時期に感じさせられた“抉り”を、再び味わわされている人は多い—―増えていっているのかもしれない。
いずれにせよ、考え方の違う人を、脊髄反射で責め立てない寛容な心は必要だ。
どちらかと言えば、インターネット初期(と、2024年現在言ってもいいと思う)から“書き込みごっこ”をしてきた人間からすれば、「ずいぶん軽率に書き込むんだなあ」とは、やはり、感じる。
ネット初期に“書き込みごっこ”をしていた世代として、それ以降の世代、またはその逆に当たる年齢が上にあたる世代も、この“軽率さ”から逃れられていないように思う。
たとえば「リベンジポルノ」など、そのような言葉——「」(かぎカッコ)——を知る以前から、“懇意にあった状態での性的記録は、たとえ懇意である間柄にあり、その間柄が続いて行こうとも、「他人」と「他人」である関係が原則である以上、実行に移してはならない”ということが常識的なものとして、中学校を卒業する前までには遅くともあった(スマホがあるとかないとかは仮定の話であって、関係ない)。
女性に対し性的な行為を、無理矢理に行ってはいけないという、所謂「強姦」については、物心がついた時にはすでにあったような気がする。
松本人志さんを一面的なストーリーで叩き続けている人には、上記のような前提が、実はないのではないか?という疑いがある。
少なくとも薄いように感じる。
松本さんのⅩにおける発言も、多少“軽率”なところがあった気はするが(そもそもSNSと“この軽率さ”は切り離すことが難しい)、とはいえ松本さんを叩き続けている人よりは、“性行為に対して軽々しい認識は持っていない人物”だと自分は思う。
備忘録⑩
裁判の終結以降、未だウーマンラッシュアワーの村本さんからの発信はない。また、第一弾の告発を受け、N党の立花某が暴露を呼び掛けていながら(本人の耳に入っていたかはわからないが)、オリエンタルラジオの中田さんも発信はしていない。
現時点(2024/11/28)においてない。
村本さんにあって、中田さんにあって、前川氏らにないもの――あるなしクイズ。
答え。
「ネタ」が書ける人と書けない人。
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備忘録の終わりとともに。
松本さんほど、芸能活動を注視してきたわけではなかったが、中田さんは政治的な発言に積極的だったわけではないし、所謂「ノンポリ」以上でも以下でもなかったと思うのだけど、「左派」の人たちからすると、自分たちとは違う考え方がとかく許せないらしい。
「一部の左派」という抑制的な見方も忘れてはいけないのだが、しかし、されど、前川氏のポストを目にしてしまったあとだと……。
「善悪」で生きているから“茶目っ気”がない。
中田さんの本心を勝手に代弁させてもらうのなら――
「応援してくれるのは嬉しいけど、いい迷惑なんだよなあ」
芸人としての能力は、松本さんの足下に及んだかな?及んでないかな?くらいではあったけど、一方で松本さんが到底持ち合わせてはいない能力も有していたわけで、言い換えるならそれはエンターテイナーとしての実力になり、その実力はあるわけだから、はっきり言って、政治的思想性で中田さんを絡め捕ろうとする層を、中田さんが失ったとしても、中田さんは余裕で生きていける。
屁の屁の河童で食っていけるでしょ?
追記。
ネタが書ける人にあって、ネタが書けない人にないものは――。
「国語力」。
補足。
前川喜平氏、経歴。
1955年早生まれ。69歳。
東大・文科一類へ入学。
留年を経て、東大・法学部を卒業。
(当時の)文部省、入省。
文科省事務次官へ昇任。
退職を受け「(今後は)表舞台に出たりはせず、一般人として過ごしていく」意向を述べる。
現在は、“右傾化を深く憂慮する一市民”として、Xを更新するなどの生活。
以下、私見。表明。
前川氏に代表される、どちらかと言えば自分より上の世代にあたる60代以上を中心とした、先人が考えた「リベラリズム」に対し、疑いを持たず、ただ戴き、それを以て、“自分たちはリベラルである”との主張をやめない「左派・左翼」の人たちを、自分のような「リベラル=自分の頭で考える自由主義者・個人主義者」な思考と、差別化を図る意味合いにおいて、今後は、「日本左翼(ニッポンサヨク)」という種として称していこうと思う。
リベラル――「個」。
ニッポンサヨク――「種」。
ついでに。
「村本大輔」や「中田敦彦」や、僭越ながら自分も含め、“個”で生きていると思う。
ちなみに「三浦マイルド」だってそう。
“R-1王者”——1人ネタ最強――になれるほど、ネタが書ける。
問題です。
ひとまず「三浦マイルド」は置いといて、「村本大輔」や「中田敦彦」たち彼らに、“一般社会とは乖離した伏魔殿”と揶揄される芸能界の、「忖度機構(システム)」は働くのでしょうか――?
チッチッチッチッチッチッ……