アップデートに怯える
悲しい。
恐怖を感じたくないので考え過ぎないようにしている。
以下は、先週(8月6日)に書き始めたものの、機を逸してしまったテキストになる。
タイトルは「憂う」。
[憂う]
都知事選やボクシングの試合もそうだし、体操の宮田笙子のその後やサッカーの佐野海舟、誤審続きだと言われるパリ五輪や、五輪自体、またはオリンピアンに難癖を付ける人々など、触れてみたい話題に事欠かない状況が続いているように思えるが、書き掛けて書き掛けたまま終わる文章が、特に年始以降多い。
だが、その中にあっても、これは触れておきたいと思うので、触れる。
やす子さんに対するのフワちゃんの「死ね」という文言(正確には「死んでくださーい」か?)を含むポストへの批判についてだ。
世間のバランス(寄り方)を軸に考えると、自分はフワちゃん寄りである。
この立場だけは、まず書いておく。
その上で続ける。
フワちゃんのポストを批判するのはいい。
その批判が束になることもいい。
ニュアンス的には「しょうがない」に近づくが、言論の自由がある以上、個々人の意見が、結果的に束となり、大きな批判に見えてしまうことは現実にあるし、これを“誰か”として特定し、責任を負わせるのは難しい。
だが、だからと言って、これを理由にし、仕事がなくなってしまうということが理解出来ない。
「仕事」って、そんなにもホイホイ簡単に無くなっていいものなのか――?
フワちゃんを批判する束の中の一糸であったとしても、「いやいや、そこまでしなくても……」と、自分なら思う。
個別具体的に判断するのなら、「Google Japan」が今後予定していた仕事を白紙に戻したのはいい。どの程度打ち合わせをしていたかはわからないが、あくまで「進行中」ということなので、正式決定前であったと考える。
また、自らのサイトの中で流していた動画を取り止めるのもいい。これは、「日本テレビ」や「フジテレビ」の対応についても同様だ。だが、ギャラ(給料)を支払うのは当たり前として、だ(すでに支払い済みであれば、返還を求めることなどあってはならない)。
その上で、「ニッポン放送」の対応はない。
「日本テレビ」や「フジテレビ」などは、あくまで自らが有している編集権を行使しているだけだ。だから、ギャラさえ払っていたならば、そこから先の対応として、フワちゃんの出演映像をバッサリと切り捨てても、理論的には問題がないと思う。
しかし、「フワちゃんのオールナイトニッポン0」として、フワちゃんがその仕事において中心を担っていたものを取り止めてしてしまうということは、仮にギャラが支払われていたとしても、道義上問題がある。
すでに決定していた仕事がキャンセルされることが、拙速であっていいはずがない。
ネット上の書き込みで、「芸能界は一般社会より甘い」なる意見を度々目にするが、訳がわからない。
そんなはずがないからだ。
今回の騒動とは別の出来事になるが、「不倫で仕事を失うなど芸能界にかかわらず一般でもある」という書き込みを見たことがあることからも、とんでもない勘違いが窺える。
「不倫」で失う仕事などメディア関係(出役)以外ない。相当な例外を除き、常識的にあるわけがない。
過去、自分が携わってきた仕事を全て思い返してみても、「不倫」が原因で解かれる仕事があったかと言えば「無かった」と断じれる。
この“常識的にありえない”がどのくらいありえないかと言えば、「不倫」を理由に職場を解雇された場合、それを不当とし、その会社を訴えた場合、勝つ。
つまり、法的に敗訴するに決まっているから、こんな馬鹿げたことを理由に、雇用者側は被雇用者側を馘になど出来ない。
また、実際、直近まで自分が勤めていた倉庫作業に置き換えたとしても、「事務の奥さんと不倫関係になってしまったので、明日以降の業務を謹慎することに決めました」と上役に伝えたならば、呆気に取られた後、むしろきつめに問い詰められただろう。
「いや、そんなことはどうでもいいから。仕事はちゃんとしろ」と。
しかし、印象度でメシを食っている(ことになっている)芸能人を中心とした人たちは、不幸にも例外が当て嵌まってしまう(らしい)。
と、この辺りまで書き進め、体調も悪くなりやめた。
要旨としては、“仕事を簡単に奪うな”ということだったのだから、ほぼ書き終わっていたと言っていい。完成度よりも速報性が大事――要点を肝に銘じられていたなら、多少納得がいかなかったとしても投稿出来ていただろう。
もうオールナイトニッポンは聴かない。
「ニッポン放送」には失望した。
改めて詳細に書くかもしれないが、とりあえずはいい。うんざりだ。
「憂う」程度で終わりたかった。
こんなに怖い世の中になるとは思わなかった。
お互いがお互いに拳銃を突き付け合うような社会。
ブログ上で、「場合によっては暴力も許容される」というような考えを何度か書いてきたが、その上限は、あくまで互いに顔を見合わせた上(「なんか文句あんのか?」)、よーいドンで(「表出ろよ、じゃあ」)、拳骨(「タイマンな」)で、だ。
昭和から生きているが、こんなに怖い世の中は今が初めてだ——お互いがお互いに拳銃を突き付け合うような社会。
上野千鶴子氏なら、フワちゃんの気持ちを理解するだろう。
にしても……
世の中、どうなってんだ。