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都構想とこれからの維新について考えたこと
こんにちは、海原雄山です。
今回は、これからの都構想について思うところを備忘録的にまとめたいと思います。
二回目の都構想住民投票から3年ですが、都構想に変わる大きな看板政策が生み出せずにいます。
日本大改革プランがそれに代わり得るものだったわけですが、財源論でまだまだ大々的に打ち出せずにいるのが現状と言えるでしょう。
それでは、今後都構想と維新はどうあるべきでしょうか。
もちろんこれは私見にしかすぎず、意見を押し付けるものではありませんので、ご承知おきを。
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論点①なぜ2回目の住民投票は否決となったのか
まず、なぜ2回目の都構想住民投票が否決されたのか、整理しておきたいと思います。
ことの大小や当否は人により考えの違いがありますが、とりあえず私の思うところを書いておきます。
①大阪維新が府市一体の政治を行っているので、都構想の必要が薄れた
恐らくこれが一番の要因だったのではないでしょうか。
すでに、大阪府知事・大阪市長のポストと維新で議会の第一会派を抑えている状況で、実質的な都構想状態を実現していたため、都構想に移行する必要性が薄れたと言われています。
実際、住民投票の出口調査では、賛否が拮抗していた一方、維新市政(府政)は約7割が支持という結果でした。
つまり、大阪市民は、府市一体の改革を支持しているが、大幅な態勢変更を市民が望まなかった、引き続き維新を選ぶことでそれを実現するという民意だったということでしょう。
②そもそも住民投票にかけることがそぐわない
個別具体的な政策ではなく、行政組織の在り方を問うというのが、住民投票にそぐわないのではないかという見方もできるでしょう。
個別具体的な話であれば、メリットデメリットをイメージ一方、政令市から特別区に移行することで、何がどう変わるのかは一般市民にはなかなかイメージしにくいのではないでしょうか。
「都構想がわからない」という一般市民の声がテレビで放映されることも多かったと思います。
私はこれを言葉通りの意味に捉えてはいけないのではないかと考えています。
都構想がぶち上げられて、当時で10年近く経っていました。都構想の是非を掲げて戦った2011年の大阪W選からも9年です。
流石にそれだけの期間、常に大阪維新が都構想の実現を訴えてきたのに、本当に市民が都構想の仕組みがわからないということは考えにくいと思います。
すくなくとも、大阪市が東京23区のような行政区分になるということくらいはイメージはできていると思います。
なので、恐らく「都構想がわからない」という言葉の意味は「都構想のメリットがわからない」というのが真意ではないかと考えられます。
確かに、特別区になることで市民の生活がどう+に変わるのかは一言では表現が難しいです。
①と関連してきますが、二重行政が無くなると言ってもすでに大阪維新が府市の政治を握ることでそれはクリアできています。
しかし、それ以外に何がメリットなのかと言われて、「280万人を1人の市長で見るより、4人の特別区長で見る方がきめ細かな住民サービスが実現できる」と言われても、「じゃあ、どういう特別区になって住民サービスができるの?それ、大阪市のままではできないの?」という疑問が出てくるわけです。
あくまで、制度論の住民投票であって、実現したその先の話はできないわけです。当然ながらそれは都構想が成立した後に特別区長(候補)が語るべき話だからです。
よって、政令市から特別区への態勢変更の話を住民投票にかけることがそもそもふさわしいのかという問題があるわけです。
それこそ、住民による直接民主主義より、住民の代表である政治家の議決で決める方が望ましい議題なのかもしれません。
普段から行政ににらみを利かせ知見のある地方議員が、組織の在り方について決める方が、よほど正しく判断できることなのかもしれません。
③住民投票にかけるタイミング
2020年11月という住民投票の時期もまずかったのではないでしょうか。
万博を迎える前に実現したい、あるいは公明党の協力を得られるうちに成立させたいという思いが強かったのかもしれませんが、コロナ渦1年目の真っただ中でやるべきことなのかという批判は少なからずあったと思います。
当時安倍政権から菅政権への移行直後であり、選挙を経ていない菅政権の信任を問う総選挙があっても良い時期ですが、結果菅政権下で国政選挙が行われることはなく、結局総選挙は2021年10月まで待たねばならず、「国政選挙との同日実施」という青写真が崩れたことも、そういった批判を不可避なものしました。(これはあくまで結果論に過ぎませんが)
もはやコロナ渦も沈静化しましたが、コロナ渦1年目の中で実施する判断が果たして正しかったのかというのは、反省材料としてあるのではないでしょうか。
論点②3回目の都構想の是非といかにして実現するか
以上を踏まえ、3回目の都構想の是非ですが、まず必要性の面から言うと、都構想を実現する必要はあると言えるでしょう。
今の府市一体の改革は、大阪維新が府市の首長と議会第一会派を握っているからこそできることであって、何かの拍子に維新が瓦解すれば、もとの大阪に戻ってしまいます。
そうならないためにも、制度として府市一体となれるよう、都構想の実現は必要であると考えます。
しかし、前述のとおり実現プロセスには課題があります。
まず、住民投票にかけることが妥当なのかという点。これは、法律を改正し議会の議決で実現可能になるようにするしかないのではないかとも考えられます。
ただ、今まで住民の民意で実現を図ろうとしていたにもかかわらず、議会にかけて決を採るというやり方は後退を意味するようにも見えますし、また、ゴールポストを動かしたようにも見えます。
そもそも、国会において過半数も得ていないため、法律改正は難しいかもしれません。
しかも、2023年の統一地方選においては、都構想の是非を公約に掲げず封印したため、公約に無いことを議会の決にかけるのはいかがなものかという批判もあるでしょう。だまし討ちとの批判もあり得るでしょう。
よって、すぐに住民投票という形を回避しての実現は難しいでしょう。
やるなら、次回の統一地方選において再度都構想を掲げて戦ったうえで信任を得ることが必須です。
その上で、住民投票で実現すること自体の是非を検討する必要があるでしょう。
住民投票が不可避ならば、せめて投票権について再考が必要かもしれません。大阪市だけではなく大阪府全体の態勢に関わる問題なので、投票権を大阪市民だけではなく大阪府民全体に広げることも必要ではないでしょうか。
その場合においても、法律改正の必要性があるかもしれませんので、国政維新と与党との連携は必須でしょう。
また、大阪維新の吉村洋文代表が、2回目の住民投票の直後の会見で、「自分はもう都構想をしない」という発言があったこともケアしなければいけません。
維新の看板とも言える吉村洋文氏の旗振りなしに、果たして大阪の人々が賛意を示してくれるのかという問題もあります。
一方、吉村洋文氏は2023年の統一地方選直後の会見において、「選挙の家庭で都構想を求める声が多くあった」「この4年で何があるかわからない」旨の発言をしており、自身が3回目の都構想に挑戦することへの含みも残しています。
吉村洋文氏の発言との整合性も含め、民意をどう得ていくのか、この4年で検討していく必要があるでしょう。
論点③都構想に代わる旗
都構想を封印し続けるにしても実現するにしても、次の錦の御旗は遅かれ早かれ必要となります。
それが、税制や労働法制、社会保障を一体的に改革する政策パッケージである日本大改革プランが財源問題でややなりを潜めている今、前面にうちだしていける政策が今のところありません。
こういう大きな旗印がないと、組織は軸を失いやがては瓦解していきます。
政権交代を目指して考えが(あまりにも)異なるもの同士が集まった民主党とその政権の顛末を見れば明らかです。
ではそれはいったい何なのか。
①教育無償化
大阪では、統一地方選の目玉政策として教育無償化を掲げて戦いました。その結果府市首長はもちろん悲願の市議会過半数も得ることができました。
選挙後スピーディーに所得制限なしの高校無償化実現の道筋をつけることもできました。
今、国政選挙のマニュフェストにも教育無償化を前面に押し出すような動きがあります。
確かに、今の現役世代への負担軽減や少子化という課題への対策として教育無償化も必要な手段と言えるのかもしれません。
細かい制度設計として、色々と論点はあるかもしれませんが、何よりわかりやすいメリットがあるので、現役世代の有権者へのアピール材料としては絶大なものもあるでしょう。
一方、これが都構想に代わる看板なのかと言われると少々弱いかもしれません。
個別の政策のうちの一つであり、これだけでは国民全体の問題かと言えると微妙で、範囲を絞りすぎている感は否めません。(都構想は大阪とその周辺地域の課題ですが、政令市と広域自治体との不協和音解消言うどこの地域でもあり得る課題、つまり統治機構のあり方に一石を投じる意味では、国民全体の課題と言えなくもありません。)
②改憲
自民党が長らく党是としている改憲に、むしろそのお株を奪うように維新が大看板に掲げるというのもありかもしれません。
改憲と一口に言っても、色々な切り口があります。
一つは憲法9条がそうだし、あるいは教育無償化を憲法に明記するというのもあり得る話でしょう。
ただ、この手の問題は、特に憲法9条は、イデオロギッシュになりがちで、広く一般の有権者からは敬遠されてしまいがちです。
そういう意味では教育無償化から改憲の議論を始めていくのはありだと思いますが、先述①と同じ問題が発生してくるでしょう。
また、発議には国会議員の3分の2の賛成が必要であり、かなりハードルの高い難事業であることは覚悟しないといけません。維新単独では難しいでしょう。
その時、自公と組むのか、あるいは改憲に前向きな野党と組むのかという問題が出てきますが、相当先の話なので、それはまた別のところで議論したい話です。
③統治機構改革(道州制)
道州制を大上段に掲げることは、都構想を訴えてきた経緯から言って親和性の高いアジェンダであると言えます。
これも結局憲法問題に帰着するのですが、憲法9条問題と異なるのは、そこまでイデオロギー的対立を生まなさそうというところです。
しかし、都構想同様、具体的にどういうメリットがあるのか、一般有権者にわかりにくいという点で同じ問題が発生します。
また、道州制そのものについて効果や実現性に懐疑的な見方も少なからずあります。
大都市大阪の首長らは、恐らくもっと裁量が与えられるであろう道州制に賛成かと思いますが、全国の首長の中には、むしろ国が財政的にも責任をもってくれる方が色々と楽だったりするという考えの方もいるのではないでしょうか。
そう考えると、道州制こそ絶対的正義といえるのかという問題もあり、広く様々な地域の意見を聞いて、慎重にことを進める必要があるのではないでしょうか。
まとめ
維新は都構想のためにできた政党です。
それが実質封印状態にある今、維新は何のために存在する政党なのか、その存在意義を問われています。
大阪においては、圧倒的与党という立ち位置で、ポジションを確立していると言えますが、万が一与党でなくなった時、どうなるか。
あるいは、国政やそのほかの地方においては野党として、なぜ存在しなければいけない政党なのかを明確にしておかなければ、やがては遠心力が働き、瓦解してしまうのではないでしょうか。
何を旗印に集まった集団であるべきなのか、みなさんのご意見もお待ちしています。
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