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【島守の塔】映画じゃ戦争は終わらない

遅ればせながら、映画『島守の塔』を観てきた。
戦中の沖縄で知事を務めた島田叡と警察部長の荒井退造を中心に、
激しい戦火の中で葛藤を抱えて生きる人々の姿を描いた作品だ。

沖縄戦は、私の中で勉強したい歴史の1つ。
もう朝の時間しか上映がなかったので危うく諦めそうになったが、
ギリギリで映画館に足を運ぶことができた。

恥ずかしながら知らなかった史実ばかりで、
またひとつ戦争を学ぶきっかけを与えてもらったような気がするが、
最近の私は、エンターテインメントで現実は救えないことを痛感していた。

悲しいニュースにすっかり慣れてしまったからだ。


作り物だと分かっていても、突然響き渡る空襲の音や
大きな画面に映る血まみれの人間の姿はやっぱり怖い。

負傷した兵士が集まる壕のシーンでは足に蛆虫がわく描写もあって、
思わず顔をしかめてしまった。

同じ場面ではその後、自分で用をたすことのできない兵士の代わりに
女学生がズボンを脱がせ、横になったままバケツに用を足させていた。

「戦争さえなければ、こんな嫌な思いをしなくていいのにね」
その時兵士が、女学生にこう声をかける。

”嫌な思い”とは、自分で用を足せない惨めさのことだろうか。
または寝たきりになって死を待つ恐怖のことだろうか。
そもそも戦争が起きていること自体への憤りだろうか。

その全部かもしれない。兵士は数学の教師だったという。

「コロナなんてなければ」と散々思ってきた今なら、
非常事態のやるせなさが分かりそうだった。

けれど、戦争はきっと、もっと重たい。

目の前で人が次々と殺されていき、自分もいつ死ぬか分からない日々。
そのうえ国の理不尽な判断に従って、それが狂っているとも知らず
自ら死を選んでいく人だっている。なんて残酷なんだろう…。

吉岡里帆が演じた凛という女性も国への忠誠を誓うひとりで、
いざとなれば死ぬことを厭わない。
一方、県民一人一人の命を優先すべきだと訴えるのは島田知事。
やがて二人は衝突し、島田は凛に「生きろ!」と叫んでいた。

国の命令より自分の命が大事だなんて今じゃ当たり前で、
島田の言葉は平たく見ると何でもないのだけれど。

私はそのシーンにハッとさせられた。
それはきっと、凛の葛藤が痛いほど伝わってきたからだ。

映画館を後にしながら、一人いろいろと考える。
子供の頃から「戦争は良くない」と教えられてきた。
しかし、実は全然ピンときてなかったんじゃないか。

「戦争」という言葉はあまりにも大きすぎるのだ。
どこか遠い国の、もしくは遠い時代の話だと
心のどこかで思ってしまっていたのだと思う。

だけど『島守の塔』で描かれていたのは、
「戦争」という言葉の影に隠れた個人それぞれの悲しみと痛みだった。

大事な人を奪われる理不尽さはもちろん、
細かいことでいえば壕の中で暮らす不快感や眠れないしんどさ、
耐えきれぬ空腹なんかもそうだろう。

物語に没頭していくうちに、そういうレベルで
自然と彼らに思いを馳せていた気がする。


今日この映画を観ることができて良かったと思った。

島田が叫んだ「生きろ」という言葉は
私なんかの小さい頭にもこびりついて離れず、
同時に彼自身が抱えたであろう葛藤を思うと目頭が熱くなった。

エンタメが世界を変えられないと知ってから抱えていた憂鬱は、
そうして少しだけ形を変えた。

映画じゃ戦争は終わらない。
けれど、人ひとりの気持ちを想像させる力はたしかにある。

悲しいことの多いこの世界で、やっぱり私は映画を観て生きたい。
同じ考えの人が多ければ幸せ、とまではいかないが
安心くらいはできるかも。

島田知事が守ってくれた民間の方々がいたおかげで、
沖縄で起きた壮絶な戦争の話は、今こうして私の元まで届いている。

敬意しかない。島守の塔、いつか行ってみたいなあ。



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