自己紹介②〜うつ病との戦い〜
ご拝読いただきありがとうございます。
前回の自己紹介からの続きとなります。
自動車部品の設計開発に入社してから、目まぐるしい毎日が続きました。
社員数1000人を超える会社でしたが、ここでも、私の性格のお陰で、社長や専務に名前を覚えてもらえました。
最初のきっかけは、社内での大きな会議やイベントで、私は、まだ、何かを発表するような実績はなかったので、司会を任せていただきました。
そこで、
かなり場を和ませたり、笑いをとったのが、印象に残っていたようです。
2年目には、大きな仕事を担当するようにもなりました。
彼女もでき、順風満帆のように思えました。
でも、また転機がやってきます。
私のいた会社は地方の自動車部品の会社でしたが、世界で一つだけの技術を持っていました。
それが認められ、トヨタからの受注をいただくことになりました。
そこで、地方からトヨタとの打ち合わせのたびに、愛知県に行くのは、時間がロスしてしまうので、
愛知に事業所をおくことになりました。
ただ、まだ受注は1つの部品だけでしたので、事業所への出向は1名とのこと。
そこで、社内から5名の候補者が選ばれました。
その中に私の名前も挙がったのです。
まずは、部長から直接、話を伺い、
仮に愛知に出向になっても行くことは可能かと
聞かれました。
その時、既に彼女と婚約が決まっていました。
結婚式の日も決まっていましたし、新築中のマンションも購入していました。
ただ、彼女は、県警で働いていました。
つまり、警察官です。
彼女に相談すると、一緒に行くなら仕事を辞めないといけないから、無理だと言われました。
彼女にとっては、警察官になるのは夢だったし、試験を受け、1年間の厳しい警察学校を終えたばかりだったので、私は、もし決まったら単身赴任することになりました。
時は経ち、事業所へ行く人が決まりました。
幸か不幸か、私ではありませんでした。
正直、ホッとしました。
選ばれたのは、私の直属の上司でした。
その上司は決まった後、最後まで、社長を含め役員の方々に、私と行かせて欲しいと頼み込んだと聞きました。
私となら、必ず成功できる。
むしろ、成功させたいのなら、私とじゃなきゃダメだと言ってくれたそうです。
でも、それは叶わなかったので、私に
「3年以内に必ず事業所を大きくする。その時、お前を絶対に指名するから!」
と言ってくださいました。
普段は褒めたりしない上司だったので、余計に嬉しかったです。
彼女には、愛知行きは無くなったことを伝えました。
彼女の反応は何もありませんでした。
まぁそうですよね。
単身赴任ではなくなったのは、嬉しいのが本音だけど、私が選ばれなかったのだから、それを見せるのも微妙ですもんね。
でも、理由はそこではなかったんです。
数日後、電話がありました。
結婚をやめにしたい。
理由は??
と聞いても、全て自分が悪いの一点張りで、話してくれません。
自分が悪いのだから、今までの結婚にかかってきた費用、マンションの頭金、結婚式場の頭金、婚約指輪の費用、結婚式の衣装代は、全て彼女が私に返す
と言われました。
その後、1度も会うこともなく。電話もなく。
マンションも、式場も、全てキャンセルされていました。
そして、3ヶ月後に手紙が届きました。
そこへは、私と私の両親への謝罪の言葉と、
私の銀行口座にお金を振り込んだ証明書のコピーが入っていました。
1本の電話と一通の手紙で全てが終わりました。
一方、私の職場での様子ですが、
上司、同僚たちには、結婚式の招待をしていましたので、報告しました。
みんな、何もその事については、言ってきませんでした。
かける言葉が無かったんだと思います。
でも、唯一、愛知事業所へ行く予定の上司に、業務中だったにも関わらず、
「ちょっと来い!」
と休憩所へ呼び出されました。
「俺はお前と愛知事業所で家族ぐるみの付き合いになると考えてたんだけど、彼女ともう一度、きちんと話し合ってみたらどうか?」
そして、解決へ向けての案を色々、提示してくださいました。
でも、私には結論を変えることはできなかった。
私の意思ではなかったから。
その日から、仕事は手につきませんでした。
そして、彼女から婚約破棄を言い渡されて、1ヶ月後の朝。
普段通り、車で通勤していた時。
私の意志とは関係なく、会社とは反対方向にハンドルをきっていました。
訳も分からなくなって、このまま運転していたら危険と思い、路肩へ車を停めました。
そして、
「すみません。もう、会社へは行けません。」
と電話をかけていました。
つづく