『12人の蒐集家/ティーショップ』ジヴコヴィッチ
『12人の蒐集家』
蒐集家たちの奇妙な営為を描いた連作。
紫をキーカラーに、鋭い感性と独自の世界認識とに基づいて人生を賭けた蒐集が行われる。ただし、蒐集対象は有り体の世間話には一切上らぬような品々である。
主人公たちの多くは生真面目で、体面を気に掛けては蒐集品の保管方法に四苦八苦する者もいる。こうした葛藤も面白いのだが、蒐集家と被搾取者との駆け引きに緊張感のある第1話:日々や第3話:サインのような幻想性の強い作品の方が好みだ。個人の有する非物質的な何かが蒐集対象である場合、時間は可逆的となり、時に蒐集家は個人の生死すら掌握する力を持つ。蒐集により己の一部を失った者は、自他境界の甘美な曖昧さと、存在論的に稀薄化の進む恐怖を味わうこととなる。
最終話:コレクションズにおいては、2通りの読み方をした。
まずは無に帰すというテーマ、興業の終わり。
蒐集品を迷いなく破棄してのける富豪の蒐集家と、その虐殺行為を無感情に眺め、否定しない《全知の語り手》=著者。これは前章までに描かれてきた蒐集への破滅的な欲求やコレクションを失うことに対する焦燥・絶望への嘲笑であり、永遠性の否定である。蒐集品の死と共に、読者は著者の魔術から醒める。
あるいは遮断(完全な憶測として)。
この富豪が総体としてのコレクションを欲していると想定するならば、手足を捥ぐように個別の蒐集品を捨ててより良い蒐集品を補うことは理想に近付く一工程であり、そこには何の痛みもない。もしくは、表情に出ずとも失うことすら快楽であるかもしれない。いずれにせよ、繰り返し改造を施されるキメラの如き「コレクションズ」は無尽蔵の蒐集熱を表しており、読者はこの狂態を前になす術もなく退散する他ない。
本書における紫について。
訳者あとがきでマロウに言及していたが、本書で執拗に用いられる紫からは、洗練と低俗のあわい、静と動の揺らぎ、神秘といったイメージが喚起される。マロウの清涼感のある色味とは連想する世界が少々乖離しているように思う。
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『ティーショップ』
店員も客も、登場人物全てが語り部であり、さらに当事者であり、奇妙な縁で繋がっている。展開と収束のリズムが小気味よい中篇。
主人公グレタは語り部の一人として彼らに加わることになるのだろう。少女漫画的ともいえる展開は微笑ましくもある。しかし、純粋に物語の美酒を拝受するばかりであった彼女は語るべき自身の物語を持っているのだろうか。
物語は連綿と語られ、選ばれし者は憧れと共にその一部となる。古来より紡がれ続ける物語の縮図といった印象。
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「東欧のボルヘス」というほどの強烈な印象はないものの、軽妙な不条理文学として面白く読んだ。