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サブカル大蔵経920小友聡『それでも生きる 旧約聖書コヘレトの言葉』(NHK出版)
コヘレトの言葉は、キリスト教会の歴史の中で、長らく異端の書と解釈されがちでした。空しいをはじめ、およそキリスト教の正典にふさわしくないと思われそうな言葉が並んでいるからです。p.9
〈異端〉とは始源に遡る行為。原始キリスト教への渇望を掬い取る役割もあるか。
ここでの「祈り」とは、神の手にゆだねることを指す。p.146
祈りとは、委ねること。念仏と似てる?
コヘレトとはヘブライ語で集める人という意味で、集会を主催する人、あるいは説教者のことを指します。/彼はユダヤ人の共同体の中で集会を開いて、人々に知恵を授けていました。p.11.12
集会者の言葉。法より人の雰囲気も?何かの嘆きか?
旧約聖書をきちんと理解することこそが、新約聖書をよく理解する道なのです。p.15
なんとなくサブ扱いしていた旧約聖書が、ゴーレムのように立ち上がる。
「僕はね、旧約聖書の中でコヘレトの言葉と雅歌だけはわからない」p.29
当時の旧約聖書学の権威、左近潔に言わしめたが、だからこそ、広がる要因か。
ヘベルが空しいと訳されたのは、新共同聖書(1987年)からです。/それではやはり誤解があるので、最新の「聖書協会共同訳聖書」(2018年)で「空」に戻りました。p.38
著者は「束の間」と訳す。この辺りの聖書側の真摯さを仏教側も学びたい。
世界に終わりなどない。終末は来ないとコヘレトは考えます。p.100
旧約末期思想の黙示録のカウンター。
終末がいつ来るか、それはわからない。いつ来てもいいように、「目を覚ましていなさい」とイエスは説きます。p.119
マルコによる福音書より。終末があるからこそ今を大事にとブッダさせるイエス。
死ぬ日は生まれる日にまさる。弔いの家に行くのは酒宴の家に行くにまさる。(7節1-4)p.122
メメントモリ。葬儀論。
すべてのことが人を疲れさせる。(1-8)/知恵ある者も愚かな者も等しく死ぬとは何ということか(2-16)p.160.162
『中の人』を想像すると、この方、いろいろやってみて、裏切られた人なのかな。
空である日々に私はすべてを見た。
義のゆえに滅びる正しき者がおり
悪のゆえに生き長らえる悪しき者がいる。
あなたは義に過ぎてはならない。
賢くありすぎてはならない。p.168
熱に浮かされぬこと。自戒を込めてか。
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