サブカル大蔵経854井田克征『世界を動かす聖者たち』(平凡社新書)
世界は宗教化する。
科学や医学の先の宗教は、どんな新しい風景なのか、還ってくる風景なのか。
先は過去。過去に向かう世界。
インドはやはり、大きい。
しかし、ナショナリズムが深まると、小さく感じられる。
聖者とは特別な存在ではなく、ごく日常的な生活の延長線上に生み出され、また廃れていくものに過ぎない。p.15
私の代わりはいくらでもいる。映画でゲバラがそう話していたのが印象深いです。
幼い頃から女神扱いされ、王や人々の崇拝を受けてきた彼女が、その後の普通の生活を送ることは簡単ではない。さらに厄介なのは、元クマリの女性との結婚は、男性に不幸を招くと言い慣わされていることである。p.47
何か眞子さんのことを言ってるような。
問題なのは、クマリ制度それ自体ではなくて、クマリに関して誤った情報を垂れ流すマスメディアのセンセーショナリズムなのだという。クマリの実像からかけ離れている。p.59
これも皇室的な。皇室とは実は宗教の問題なのか、逆に宗教が皇室的になっているのかもしれません。
サイ・ババの思想は、イスラーム神秘思想スーフィズムとウパニシャッド以来の梵我一如の観念に、帰依主義バクティズムが取りこまれたもの。イスラームとヒンドゥー教の違いもまた表面的なものにすぎず、一切のカーストの差異は無意味ということになる。p.109
いいとこどりのハイブリッド新宗教が平等を突きつける。それは本質か理想か。
19世記、インド独立運動において人々は自らの国を「母なる女神インド」バーラト・マーターと呼んで、この女神をイギリスの桎梏から解き放つため、自己犠牲的な闘争に身を投じた。p.160
母なる大地・大河に統一されたインド。そのために捧げられたいのち。現代に甦る大いなる供物は私自身のいのちだった。
古代インドで誕生した仏教は、イスラームの侵攻を契機として、13世紀にはインドから姿を消した。その後19世紀末からきわめて小規模ではあるが、仏教の復興運動リヴァイバルが始まる。その嚆矢となったのは、スリランカ人の僧侶ダルマパーラが1891年に設立した大菩提協会マハーボーディ・ソサイエティであった。彼はブッダガヤの寺院がすっかりヒンドゥー教化していることにショックを受けて協会を組織した。インドの人々には浸透しなかったが。アンベードカルに改宗という方策を指し示したという点において大きな意味があったと言えるだろう。p.210
欧州で〈仏教〉が発見され、明治維新後、日本の仏道が〈仏教〉になり、他国によって本家インドの〈仏教〉がルネサンスされた。ほぼすべて最近100年の出来事。〈仏教〉は古くて新しく、動いている。
仏教では、仏陀の教えとは客観的真理であり、別段それ自体に神性が宿っているわけではない。ゆえに真理を説く仏陀もまた、ただの人間に過ぎない。アンベードカルは、このように理解した。p.213
人の神秘性を剥ぐ。非聖者としての仏。現代で説得力のある新しい仏伝。
佐々井秀嶺はダリットたちを古代インドの仏教伝統に結びつけることで、一つの生き生きした共同体を作り出すことを目指した。p.220
インドでの日本の聖者は妙法寺にあり。異国者から見たインドの差別問題と解放思想としての仏教。インドでこれから本当の仏教が始まるのかもしれない。