サブカル大蔵経270ケッチャム&ラッキー・マッキー/金子浩一訳『わたしはサムじゃない』(扶桑社文庫)
外国の作家で唯一読んでいるケッチャム
『オフシーズン』『隣の家の少女』など、まがまがしく、臭うような、それていて妙な爽快感のある不思議な小説。
なぜかというと、そこに真実が描かれているからとしか言いようがない。一番こわいのは誰なんだ、と。
本書では心理に重きを置きながら、肉体的な装置も配備されている。わたしはだれ?あなたはだれ?のはざまでも蠢く人間の情念。
願いごとをする時は、兄弟、気をつけた方がいい。p.34
願いごとがかなう恐ろしさ
君ひとりじゃ無理だ。君じゃ近すぎるんだ。ところで君は大丈夫なのかね?p.127
この医師のセリフが恐ろしかった。患者を見守る人間が、患者よりヤバいのでは?という現実。
監禁だのなんだのをしているわけじゃない。p.131
セルフパロディ。ケッチャムギャグ。
わたしの心はここにはない。p.184
こころが切り離される。
ケッチャムの小説が恐ろしいのは、私たちが生きている現実が恐ろしいからなのだ。(中略)ケッチャムはgodと全て小文字で表記する。(訳者解説)p.227
夫婦にも子供にも神にも忖度のない、真実の如来の化身ケッチャム。日本の作家で匹敵するのは、榎本俊二先生くらいか。
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