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サブカル大蔵経688『電線絵画』(求龍堂)

河鍋暁斎と山岡鉄舟の合筆「電信柱」(明治前期・河鍋暁斎記念館)p.17です。二人は、文明開化の象徴として電信柱を切り取ったのかもしれません。

私は昔から写真を撮る時、自然や観光対象だけを写すのは嫌で、画面に入る電線や広告看板や歩いている人も一緒に写していました。それを写さないと何か嘘だと思っていて、周りの電線や広告や人が入っているからこそ私の旅の記念として写す価値があると思っていました。でも、その写真を家族に見せると、電線をよけて写せば良いのに、と失敗写真のように言われました。

本書は「電線絵画展 小林清親から山口晃まで」(練馬美術館)の公式図録です。帯の文章は[ぼくたちが過ごした日々には電線も電柱もあった。それが普通の景色だった。明治初期から現代まで、電線・電柱が描かれた作品ばかり一挙公開]です。即購入です(Amazonのアウトレットで)。

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佐伯祐三「下落合風景」(大正15年頃・東京国立近代美術館寄託)p.96

これ、薄暗い場所にそびえ立つ十字架かと思いました。

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岡鹿之助「燈台」(昭和42年・ポーラ美術館)p.131

これも電柱が私たちを導く道しるべとしての十字架に見えます。

山口晃さんは本書「電柱再考」(p.144)において、「電柱電線は美を指向せず安全や効率的装柱を一義にしたインフラであるが故に、依代的な美の降下がまま見られます。」として、「電柱の尊さ」とまで表現されています。文末は、

電線電柱の悪印象は圧縮写真などで記号的に印象付けられたプロパガンダであり、実風景を虚心に捉えている人は驚くほど少数です。風景を記号的にしかみられないことの弊害は何がどう醜いのかの不理解と共に美に対しての不理解も生みます。それは一元的な「美観地区」などにも明らかで、電柱をどうするにせよ、先ずは風景を虚心に見ることを私は強く訴えたいのです。p.144

と結ばれています。私たちは何を見ているつもりになっているのか、その時に何を排除しているのだろうか、それが現代の私たちの思考や行動の方向性につながっていることを危惧されている様に感じました。

巻末の「電線年表」の明治5年の項には、

この頃"電信線には処女の生血が塗られている"など流言飛語が飛び交う。当時、電信は軍事、治安の目的が強かったため、旧士族や民衆の反感と妨害を被ることが多く、広島、福島、三重、横浜などで、電信局の襲撃、電信柱の倒壊が多発した。p.148

とあります。電信柱もいろんなことがありながら、私たちと共に歩んできたのだなと思いました。

電信柱は、電線を架ける役割以外に、電灯を灯す役割もあります。五年前にそばの電信柱の街灯の電球がLEDに替わりました。何かが終わった感じがしました。その年の町内会の予算の目玉が街灯LED化でした。

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ちなみに、私が今一番電線電柱を感じる作家は宮崎夏次系です。名場面の影に電線電柱があるような。いや、電線電柱を描いてくれているからこそ、さらなる印象的な名場面になっているような。

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『あなたはブンちゃんの恋』①(講談社)p.21

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『あなたはブンちゃんの恋』①(講談社)p.36

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『あなたはブンちゃんの恋』①(講談社)p.46

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『あなたはブンちゃんの恋』①(講談社)p.68

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『あなたはブンちゃんの恋』②(講談社)p.42

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『あなたはブンちゃんの恋』②(講談社)p.115


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