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サブカル大蔵経863鯖田豊之『肉食の思想』(中公新書)

昔、リヨンで流行っている店を訪れた時、看板が〈豚の串刺しの絵〉でした。その時の衝撃と違和感と、妙な納得。

「ここは、ヨーロッパなんだ」

人間と動物の間にはっきりと一線を画し、人間をあらゆるものの上に置くこと。そうすれば一切の矛盾を解消し、動物屠畜に対する抵抗感もなくなるはずだ。歴史的に見てこうした思想的立場を最も鮮明に打ち出したのが実はキリスト教である。パリの娘さんが「牛や豚は人間に食べられるために神様が作ってくださった」と言っているのはその何よりの例証である。p.58

肉食とヨーロッパと人間と。

ヨーロッパをdisり捲る中公初期の快著。

今の日本人への提言にも映りました。

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悲壮な決意で来日した宣教師たち。肉食をしない日本の食生活が合わない。ザビエル、ヴァリニャーノ、ハリス。死体も食べる、牛の乳を人間が飲むというヨーロッパ人の肉食に対する疑問や不安感が宣教や滞在を妨げる。p.20

 当時の宣教師や外国人への誤解や嫌悪は今でも変わっていないのかもしれません。

ヨーロッパ人の肉食率が高いのは、/決して彼らが恵まれているためではない。風土的条件が彼らに穀物で満腹にすることを生かさなかった。p.36

 肉は贅沢なものではなかった。必需品。

欧米諸国の動物愛護運動は動物を殺すこと自体は決して残酷ではない。残酷なのは不必要な苦痛を与えることである。p.54

 現在のアニマルウェルフェアの萌芽。

キリスト教の故郷、ヘブライ人もまた牧畜民族である。p.59

 牧畜のキリスト教。仏教は?

旧約聖書創世記で、人間は神の似た姿で他の動物を殺して食べる権利があることが、はっきりと認められている。人間と動物は完全に断絶している。p.60

 神に似ているからという特権なんだ…。

人間と動物の間にはっきりとした一線を引き、輪廻思想を認めないとなると、キリスト教の天国・地獄観が、仏教の極楽・地獄観と違ったものになるのは言うまでもない。p.63

 おとぎ話も、西洋は「動物→人間」は皆無で、罰や呪いによる「人間→動物」のみ。しかし東洋は「動物→人間」がある。という風に考えていたが、実際どうなのでしょうか。ディズニーはどうかな?

ここで言う人間中心主義は、決して人類一般というようなことを抽象的に考えた結果ではない。あくまで生き抜くためには肉食に頼らざるを得ない、ヨーロッパのギリギリの歴史的環境が生み出したものなのである。p.83

 生きていくための肉食と思想。

1537年ローマ法王パウロ3世が、インド人や黒人や新大陸のアメリカ土着民も「本物の人間」であると厳かに宣言した。ヨーロッパ人は一体彼らをなんと考えていたのであろうか。p.84

 啓蒙主義の時代こそ差別が顕れた。


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永江雅邦
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