サブカル大蔵経839遠藤秀紀『解剖男』(講談社現代新書)
以前読んだ『東大ハチ公物語』で、ひとりだけ企画そのものにガチで喧嘩腰だった筆致が印象的で、本書にたどり着きました。
遺体。名もなき動物へのリスペクト。
動物の死体は現代社会では基本的に生ごみとして扱われている。ライオンが死んでもゾウが死んでもキリンが死んでも、その99%までは焼却処分されている。その背景には力ある政治や行政が、動物の死体に文化としての価値を全く認めていないと言う現実がある。動物の死体に科学的興味を感じてくれるすべての読者へ。しばらくの間、動物の死体を遺体と呼んで筆を執ることにしたい。p.4
私と遺体。私も死体。死体としての平等。
私は必ず問うことにしている。この遺体と一生付き合うことができるか。p.22
本書には著者が遺体と居る写真も多く掲載されています。
遺体をどれほど大きな知に変えられるかは、遺体に接する人間たちがどれほど真剣に遺体に謎を問うかで決まるのである。p.61
道端の遺体。〈道〉とは遺体のある場。
どんな頭骨でも、何かを食べるために設計された部分と、脳の領域を保護するための部分の、二つに分けられる。p.93
骨による知見
獣の首の骨はなぜ7本でなければならないのか。p.96
7本で等しい生物。
私たちの手が「つかむための四肢」として何千万年もの進化の足跡の上に成り立っている。p.119
掴むことの物凄さ。
ラクダのこぶは🐪直射日光の影響を身体の深部に直接与えないための断熱材として、背中という配置場所が選ばれているようである。p.180
そこに器官がある意味。
反芻胃というのは実は消化酵素云々という以前に草を燃料に微生物をどんどん増やす培養タンクとして活躍。p.186
今南方熊楠の研究書『ニニフニ』を読んでいるのですが、熊楠が吐く理由が考察されています。反芻胃と微生物か…。
獣医学・畜産学は解剖学に唾を吐く。p.199
解剖学は全てを解剖するのかも。
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