サブカル大蔵経519宮脇俊三『私の人生途中下車』(角川文庫)
宮脇俊三穴場本。ゴールした後の別冊サービス的な本というか。
編集者時代の話は、出版史、中央公論社社史としても貴重です。
宮脇俊三は、文章だけでなく、生き方もハードボイルドで、汽車旅への恥じらいと開き直りの塩梅が絶妙だと思います。そこが宮脇さん以外の方の鉄道紀行文と違うところだと思います。
本書には、鉄道紀行の名を借りた何かが、したためられています。
時刻表には、貨物列車は載っていないが、客の乗る汽車や電車のことは、ぜんぶ載っているのだ。p.17
今は貨物専用時刻表があるらしいですね。時刻表の万能感。
伯父・三土忠造が大蔵大臣・鉄道大臣だった。/父・宮脇長吉議員は、軍人が政治に口を出すことに反対だったが、性格も顔つきも軍人のよう。p.20.48
政治家と軍人の血統。
熱海と湯河原の間の泉越トンネル。貨物列車は、いつ通るかわからないのですが、それをじっと待っているのがひどく楽しかった。p.32
待つと乗り換え。思い起こせば、これが鉄道旅の両輪であり、真髄かと。
昭和17年富良野のアスベストの鉱山に用事のある父についていった。p.56
植木等もそうですが、戦時中若い時に、北海道に来てた方、結構いますね。遭わせたいですね。
交通公社の旅程と費用概算。全国の旅館の部屋数を調べた。いちばん部屋数多かったのが、新橋第一ホテル。p.60
巻末の旅館の記載、懐かしい。新橋第一ホテルの前は、通ったことあります。新橋というのがグッときます。
大石田の炭鉱に父の助手という名目でした。村上に疎開、羽越本線で余目まで行って、陸羽西線で新庄へ抜け、奥羽本線に乗り換えるコースです。p.72
たまらない線名・地名ばかり。
ひどく暑い日でした。今泉駅前の広場の中央にラジオが置かれていて。玉音放送がありました。まもなく、女子の改札係が、坂町行きが参りますと告げました。はっと我に帰ったような気がしました。父と私は改札口から今泉駅のホームに入り、米坂線の米沢発坂町行きの列車を待ちました。こんな時でも汽車が走るのかと私は信じられない思いでした。坂町行きの列車がホームにはいってきました。いつもと同じように、動輪のあいだから、ホームに蒸気を噴きつけてきます。機関士と助士が乗っていて、いつものように駅の助役からタブレットの輪を受け取っています。私と父の乗った列車は、米坂線を走っていきました。そこは、はじめて乗る線でしたが、戦争に負けたからといってなにも変わることなく列車は走ります。外は、まぶしい真夏の日差しでした。戦争に負けても、何事もかわりなく、列車や自然は運行していくものだと私は、つくづく思いました。国破れて山河ありという言葉が、頭に去来したものです。p.73
ここ、教科書か、聖典入りですね。
モーツァルトから教わったことは、金のために作曲することを、ぜんぜん軽蔑しないということです。p.89
宮脇俊三はよくモーツァルトのことを書いていました。
婦人公論に移ってすぐ、熱海で知り合った女性と結婚しているんです。p.102
熱海が出会いの場だったんですね。
出版部というのは、雑誌の編集でくたびれた人の休憩所みたいな感じで、あまり活気がありませんでした。p.107
雑誌がメインだったんだ…。
中公新書創刊。『アーロン収容所』『宦官』がベストセラーに業界も驚く。『世界の歴史』をやってきた副産物ですね。p.114
ベストセラー製造機!初めて二万キロ読んだ時はさえないイメージだったのに、騙された人多かったのでは。というか、出版関係の人はみんなご存知だったんですね。
ストライキ、組合との交渉、私の生涯で、これほど毎日ベラベラしゃべりまくったのは、空前絶後です。立場上、心にもないことも平然というわけですが、そんなとき、やっぱり政治家だった父の血を引いているのかなと思ったこともありました。p.126
このストレスが、作家・宮脇俊三を生み出したのかもしれません。
疲れませんよ。だって汽車の中では、労働するわけじゃありませんからね。p.131
何時間でも乗りたい。
最後に乗ったのは足尾線。p.143
聖地。私はまだ未乗です…。
最初に取材にきたのは、北海道新聞の女性の編集者の人だったんです。p.145
道新、エラい!
外国に行ってまで日本人だらけの中というんじゃ、つまらないですよね。ところが、ふつうの鉄道に乗り換えると、とたんに、日本人がぱっといなくなる。空気が違う感じですよ。そして、駅を発車して、郊外に出て、スーッと田園風景のなかに入っていく気分がなんともいえず、いいんです。p.174
私も、空港から公共の乗り物に乗った時に、旅の最大の高揚感を感じます。
北の果ての礼文島と利尻島へ行くことにしました。ふつうだと、島の旅行記なら島のことだけを書くんでしょうが、私は、上野から稚内までの列車のことをえんえんと書いて、p.179
オードリー若林の紀行文もそうでした。テーマ以外の前後を書くことはお仕着せの旅行ではない、読者との信頼につながる感じがします。
新幹線がつまらないという人もいますが、あれはむしろ鉄道と飛行機の中間くらいの存在だと思うんです。p.195
けだし名言。
ぜったいに忘れちゃいけないのが地図です。地図がないと時刻表が生きてこないんですよね。私の場合は25万分の1の道路地図を持っていて、降りて歩いてみようというところは2万5千分の1を用意するようにしています。p.196
私の汽車旅のお供は昔の『ブルーガイド』(実業之日本社)でした。あの本の地図が、とにかく頼りでした。今でもぼろぼろになって本棚にあります。