
サブカル大蔵経859永江朗『書いて稼ぐ技術』(平凡社新書)
ライターに関わらずどんな仕事においても参考になる金言の数々。
でも、真似できるようで、なかなか真似できないだろうなぁとも思いました。
そのくらいプロは真摯に仕事に取り組み、その姿勢が相手に信頼され、幅広い出版社から声がかかるんだろうなと思いました。
私の父のいとこにあたる著者が、ご自身のルーツについて語る部分にどうしても注目してしまいました。
椎名誠さんが「永江さんは明るいのがいいよね」と言いました。私は自分を明るいと思ったことがなかった。どっちかと言うとちょっと暗い方かなと思っていました。でもそういえば何人かの編集者から「いつも暇そうにしてますね」「なんだか呑気ですね」と言われたことがあります。もしかすると明るく呑気そうに見えるのがプラスだったのかもしれません。私が仕事をお願いする時も、暗い人より明るい人、カリカリした人より、のんびりした人にお願いしてたような気がします。p.24
私の先輩にもこういう方がいて尊敬しています。そして、いつもついつい頼ってしまいます。
布教について積極的に関与したくない。断るんだったら全部断ろうと考えました。父の実家は浄土真宗本願寺派のお寺で、今いとこが住職をしています。その方面からの依頼だったらどうするかはまだ考えていません。p.33
数年前に地元の僧侶研修会でのご講演をお願いして、快く引き受けていただきました。僧侶の視点ではないからこそ新鮮で大事なことを伝えていただきました。
「永江さん、『菊地くんの本屋』を描いた永江さんですね。」p.61
単行本の力。
父は日教組の役員もしていましたので、日教組に関することだけでなく労働問題一般についても自然と知識がつきました。それから前述したように父方の祖父は浄土真宗の僧侶でしたので、仏教や寺院についても情報が入ってきます(もっとも、教育問題も仏教も、私は自分の専門分野にしませんでした。むしろ避けようとしてきたのかもしれません。今考えるとちょっともったいなかったかもしれません)。p.70
朗さんの視点からの宗教論を読んでみたいです。
私がたどりついた結論は、最初から、メモ術は不完全であり、いつか飽きると思いながら使う、ということです。飽きたら帰ればいいじゃないかと気楽にやればいいのです。今私が使ってるのはロディアのブロックメモ11番と革のケースです。p.85
この文章を読んで少し気が楽になったことを覚えています。ロディア的なメモ帳はカバンに入れて持ち歩いています。
話をする時、小声でモゴモゴ言ってたんじゃダメです。聞き取りにくいですから。小声でモゴモゴ言うという事は相手のことを考えていないと言うことです。p.99
お店で注文する時もはっきりと発音して聞き直されないようにすると、孤独のグルメに書いてあったことを私も守ってます。
墓を買うより本を書いたほうがいいんじゃないでしょうか。p.104
私の父も一冊著しましたが、残された家族にとっては何よりの遺産です。
資料を読むときは付箋を活用します。気になったところ、これは原稿に使えると思ったところには、どんどん付箋を貼っていきます。p.114
このサブカル大蔵経も、その付箋を抜き書きして始めてみました。
本棚を眺めて10年以上開いたことのない本はもう処分してしまっても良いでしょう。これまで10年読まなかった本は今後の10年も読まないでしょう。p.116
10年読まなかった本を処分する前に、その中の作者の魂を残そうとしたのがこのサブカル大蔵経をはじめた動機です。
ルポルタージュに名文は必要ありません。事実が正確に書かれていればいい。ライターの主観も個性も入りません。そんなものは邪魔なだけです。読書はライターのことが知りたいのではなく、ライターが体験したことを知りたいだけなのですから。p.132
私もできるだけこの文章もそうしています。ということは、本のルポなのかな?
書評はルポルタージュになどに比べると、やればできる簡単な仕事のように見えるかもしれませんが、ちゃんと入ると結構大変で、場合によっては原稿に資料代の方が高くつくかもしれません。図書館を活用しましょう。p.137
読みたくない本も、原稿のために読む。たまに図書館に行くと興奮します。これからお世話になることもあるのかな。
私は原稿料はお布施であると考えていますが、お布施にも相場と言うものがありますし、たくさんいただければそれに越した事はありません。p.186
先日後輩から聞いたのですが、村上春樹も父親の実家がお寺だそうです。朗さんもその系譜なのかなと思いました。お寺出身の作家をまとめた研究書はないのかな?
そのバカ大家とアホ不動産屋には呪いをかけてやりました。今頃きっと不幸になってると思います。p.198
アツいものを抱えた珍しくお下品な言葉でした^_^
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