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サブカル大蔵経855山極寿一/小原克博『人類の起源、宗教の誕生』(平凡社新書)
信徒のあいだでは伝え合い、共感を感じることができても、1歩外に出ると通用しないのはこのためです。すべての宗教が言葉を大事にしてきました。言葉が集団を大きくして、共感性を高めたのは事実ですが、それが今限界となりつつあります。言葉が情報として拡大すればするほど、信頼性をうしなって、逆に人を傷つける武器になりつつあるということです。宗教はそこを反省しなくてはいけない。p.178
宗教を動物の段階から考察することで、人間の特性が浮かび上がる。
スケールが大きいか小さいかわからないので、単純に読みきれないのが印象的です。
人間を理解するために、今や動物との連続性や、動物としての人間の側面を無視することはできません。p.22
動物としての人間。昨今報道された豚の臓器を人間に移植することによって、動物と人間の差が開くのか、一体化するのか。
ゴリラもチンパンジーも、いったん自分の集団を離れてしまったら、同じ集団には二度と戻れません。人間の集団というのはいったん離れた仲間が帰ってきた時に、またあたたかく迎えてやれるという、動物にはない性質を持っている。これが一体なぜできたのか。p.29
最近は人間もゴリラ化してるのかも。逆に後ろ足で砂をかけて出てった人を二度と仲間にしたくないのは動物的に言えば当たり前ということで、受け入れるというのは無理して人間をしているのかな。
存在しているものと不在のものとが相互に交流していて、そこに人間ならではのエシックスの基礎があったのではないかと思います。p.36
不在のものを受け入れる力。想像力。会えない人と会えるというのは人間ゆえか。
死の認識が宗教の始まりp.37
死が全てを生み出した。その力たるや。
言葉だけの社会は、文字を持っている社会よりも生き生きとしてるかもしれません。言葉が生きているわけです。p.55
文字の存在が、何かを殺したのか…?
本来狩猟の武器を人間同士のトラブルには向けないですから、それをやるようになったのは言葉ができたからだと思います。言葉というのは比喩ですから、動物を殺すように人間を殺せばいいと。そうすれば殺す理由ができますから。この言葉が持っているレトリックですよね。p.58
比喩が人間を機械にする。比喩が殺し合いを、戦争を生んだ。比喩って怖い…。
儀式が仲間という共感能力を育てる。仲間を我が身のように思うという、極めて素朴な感情が、敵対者に対しては怒りを増幅させると言うジレンマ。p.63
仲間意識が敵を作る。それが儀式…
今西先生が1941年に書いた『生物の世界』を見直してみると西田哲学の影響を非常に受けている。p.112
京都学派ならではの文理の相互影響。
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