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サブカル大蔵経666梅原猛『地獄の思想』(中公新書)

梅原猛の処女作は《地獄》でした。

地獄をOSにして生きていた時代。

実は、令和の世でも変わらないのでは?だからこそ今、地獄が求められる。

梅原猛の放たれる言霊を受け継ぐ者は。

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闇の中でお前の子をほうむってはいけない。p.2

 昔の新書はアツい。恍惚と不安。

仏滅後5百年もたって釈迦の文献を創作するあつかましさ、しかも、それを本物と信じるズボラさ。p.28

 意外とユルいインド仏教が、中国と日本を迷わせたと。

私は、日本人があまりに釈迦を忘れすぎていると思う。p.30

 日本人の仏教のリスタート。

神道と密教は生命の思想に、唯識は心の思想に、天台は地獄の思想に属する/鎌倉以後の仏教の大勢を、日蓮宗と禅と浄土教の仏教で考えることができるとすれば、この三つの仏教はそれぞれ、生命の思想、心の思想、地獄の思想というふうに分類されるかもしれない。p.18.23

 生命の仏教、心の仏教、地獄の仏教。法話では生命や心が語られている。では、地獄は?今は地獄が足りないのかも。

浄土教は、天台と違って、ここで地獄は極楽と結びつく。/天台思想とは何か。天台はどうして地獄思想を説いたのか。p.24.54

 鎌倉祖師達が学んだ天台のルネサンス。別な存在の地獄と極楽を結びつけた源信。

源信には智顗と善導の二人が共存している。/下半身は天台で、上半身は浄土という一種のばけものの思想。/その混合物を浄土のほうに徹底さすことが必要である。この必要に応じて現れた思想家が法然である。p.76.77.82

 キメラ源信の善導から出た法然。すると地獄が残った。それを親鸞が受け継いだ?

親鸞において地獄はなくなったように見えたが、むしろ地獄は足下にあったのである。/私は彼において地獄の思想の帰結をみる。地獄の思想を徹底さすことにより、彼の前にかえって大生命の歓喜があらわれる。地獄の思想は、そこでは生命の思想の中にのまれてしまわないか。親鸞はどこかで空海とつながりはしないか。阿弥陀の仏は大日の仏とどこかで通じないか。p.97

 親鸞の地獄から、親鸞ー空海。阿弥陀ー大日の流れ。なんかシャッフルしてできた漫才のユニットみたい。

キリスト教の地獄は人間の本質と深く関わり合いを持つものではない。信仰を持つ人は、地獄におちる人を冷たくながめることができるのである。p.99

 西洋の罪の地獄、東洋の真の地獄。

浮舟は、まさに鬼やにも神にも憑かれ、人に捨てられ、人にはかりごたれた、行くところのない人間であり、横ざまな死をとげるしか生きる道のない人間であった。そういう人間こそ、仏が救いとるのだ。まさに大乗仏教の核心なのである。p.126

 『源氏物語』は日本の観無量寿経か?

『源氏物語』においては、/罪深い男や女が落ちる地獄にほかならなかった。/しかし『平家物語』ではちがう。そこでは、もはや世界そのものが地獄と化してゆく。/いかなる人間もまぬがれることができない。もはや、罪や煩悩ゆえにこの地獄にまきこまれるのではない。p.133

 源平どちらも地獄。その中の鎌倉仏教。社会的地獄。

能の第一の特徴は、やはり人間中心主義ではないということであるように思われる。主人公シテは、人間ばかりか、鬼や鵺や桜や杜若ですらある。p.152

 種を超えた異様な平等性の能舞台。

近松の思想は一種の浄土教ではないかと思う。p.191

 血しぶきのなかの浄土。地獄から浄土へ。これ読んで岩波文庫の近松作品買いました。すごい世界でした。

賢治の思想は、教えの父、日蓮より、教えの祖父、最澄の思想に近い。/賢治は、修羅の世界への凝視と利他の思想の悲しさにおいて、教えの祖父、最澄の直接の後継者であるようにみえる。p.218

 最澄を継ぐものは宮沢賢治でした!


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