サブカル大蔵経252徳川夢声『話術』(白揚社)
漫談って、今だと誰だろう。さんまになるのか?伊集院か?フリートーク、すべらない話、ラジオ…。実は、漫才やコントより、もはや芸人総漫談家時代なのかな?昔、あなたの声、徳川夢声に似ている、講談したらいいのに。と言われた。うれしかったです。
ハナシは、太陽の光や、空気や、水や、あるいは食物や、住居や、着ものや、そうした生活にぜひとも必要なものと同じように、人間の生活には絶対必要です。p.13
その当たり前だからこそ、研究されてこなかったと。ハナシって、すごい存在だなぁ。家族でも、仲間でも、コンビニでも、エレベーターの中でも、火葬場でも。何を話してきたのだろう。
善悪にかかわらず、自分自身の人格を、まともにさらけ出して語っています。それが、この人たちを雄弁家たらしめたのであります。p.32
政治家たちを評しての一言。さらけだすか…。昨今の政治家への不信感はそこかな?
ハナシの目的とは、意思を伝える。感情を伝える。知識を伝える。p.36
内容だけじゃないんだ。意思と感情か。少し楽になった。
ハナシの中に、しゃべらない部分がある。これを「間」と言う。こいつが、実は何よりも大切なもの。(中略)芸術と名がつくものには、音楽はもとより、美術、彫刻、文学、演劇、みな「マ」が重要な位置を占めています。p.44
ここが一番難しそう…。年を重ねた味わいのような気もしますが…。ちなみに今、会報誌をする役が当たって作成しているのですが、出来上がりを見て、もっと空間をあけて、と要望されました。
ではその研究はどうするんだ?答えは平凡です。たくさんの経験を積むこと、絶えずその心構えでいること、これです。p.46
場数を踏むしかないのかあ。
説教。演説と似た点がありますが、演説は主として自分の意志を達するのが目的、説教は主として自分の信仰を弘めるのが目的、演説を主として聞く人の知に訴え、説教は主として聞く人の情に訴えます。p.48
信仰を伝えるか…。当たり前のことかもしれませんが、少し目が覚めました。
登壇する、お辞儀をする。さてオモムロに客席の方を見廻す。この見廻しが大切です。p.123
これ読んでから、法話の時、最初に一度見廻すようになりました。
和尚さん達の不勉強にあると思います。小生、宗教へのお願いは、日本の一般大衆をして、良い意味の世界人たらしめていただきたいことです。すなわち、自分は、自分である前に一日本人であり、日本人である前に、人類の一員である、と言う自覚を持たせることであります。どうか、機会あるごとに説法をしてください。機会あるごとにお説教を頼みます。p.147
お説教を頼みます、か…。頑張ろう。
講演でも、漫談でも、後で良い心持ちだなんて事は滅多にないものだ。p.211
今もそんな気持ちです。半日、いや、次の日まで、。
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