サブカル大蔵経142宮崎正勝『地図で読む日本史&世界史が同時にわかる本』(三笠書房)
著者の目配りと筆致は幅広く細かく、人類のあけぼのからテロまで。
人物に加え、物流や気象、経済、国と国の関係を合わせて、地球全体を俯瞰。その中の日本。
これ中学校の教科書にして欲しい。
学生の頃買った松岡正剛編著の『情報の歴史』(NTT出版)の世界同時年表に出会ってから、世界史のダイナミックさと、自分が何も知らなさすぎなことに気づいて、年表に自分で書き加えたり付箋を貼っていくのが面白くなりました。
また、アニメの「世界名作劇場」が好きすぎて、現地に行ったり、キャラクターの年表を作ったりして、そのおかげでヨーロッパ各国の歴史を勉強するきっかけになりました。しかしいまだにわからないことだらけです。
しかしなんとなく浮かぶのは、国を超えた思わぬ繋がりや影響があるということです。その驚きを味わうために読みます。
アウストラロピテクス。ラテン語で、南の猿の意味。p.20
人間の源流。〈南の猿〉。その猿が現在どこまで辿り着いてしまったんだろう。
約10,000年間続いた縄文文化は日本列島の自然が極めて豊かだったことを物語っている。p.22
なぜ日本は他の国より文明が始まるのが遅かったのか。ここまで縄文時代が「続いた」ということは、それは必要がなかったしるしなのか。文明以上に豊かだったのだろうか。もちろん残虐な大変なことも多かったかもしれない。しかし、どちらが良いのか。このことを描く山田芳裕『望郷太郎』を読みながら、揺さぶられる。
長安には、イラン人にはトルコ人など10,000人を数える異民族が滞在し東アジア地域からの留学生留学僧も多く胡風文化(イラン文化)が流行した。p.46
ここでも胡人。胡風を「イラン文化」と表示してくれる新鮮で親切な表現。
日本とイランが中国で出会っている。
多くのイタリア人もジェノバの植民市からモンゴル帝国各地に赴いたのである。パスタ・アイスクリームがイタリアにもたらされたのもこの時代と考えられている。p.82
イタリアのパスタもアイスも元由来なんですか…。しかもジェノバ…。「母をたずねて三千里」の舞台ジェノバでマルコが食べたあのパスタとアイス!!
15年ほど前に、マルコに逢いにジェノバに行ったことがあります。アメデオの小さなラミレート人形を携えて。
マルコには逢えませんでしたが、適当な街の坂を登ると、その地区の家の窓は緑色で、アニメのエンディングそのものでした。
大友宗麟はポルトガル人との貿易の利益に着目し自ら信徒になった。p.91
キリシタン大名という存在がいまだに謎なんです。貿易のためから始まったんですかね…。
吉宗の米中心の改革は、1732年享保の大飢饉打ちこわし等により失敗が明らかになった。そうした中、財政政策の転換を主導したのが田沼意次である。p.110
暴れん坊将軍が失敗していて、田沼が改革派だったのは、各書で散見しましたが、なぜ両者の立ち位置は変わらないのかな?この時代の江戸は、現代の源流のような気がする。
ヨーロッパ社会が大きく変化する1787年から1837年までの約50年間、第18代将軍家斉が統治した。p.112
先頃、家斉の本が出ました。岡崎守恭さん『遊王 徳川家斉』(文春新書)です。家斉の本ってないのかなあと昔から定期的に検索していましたが、ようやく、待望です。まだ未読ですが楽しみです。谷間の天皇・将軍が気になります。白壁王とか足利義持とか時宗以降の執権とか。
主な輸出品となった生糸・茶は見る間に品薄となり10倍近くに値上がりする。p.139
昨年、佐賀の嬉野と長崎の出島に行った時、嬉野茶が輸出品だと初めて知りました。出島に近い嬉野茶は国際ブランドだった。横浜や東京でなく、長崎を基点にした日本史。
露仏同盟、日英同盟、英仏協商成立。日露戦争後、ロシアに対し英仏両国は巨額の融資を行い1907年ロシアイギリスフランスの三国協商が成立、その結果、ドイツは孤立する。p.154
このあたりの絡みと経緯は苦手ですが、ロシアと日本をフランスと英国が包んで、ドイツ孤立が出来上がったのでしょうか。プロレス的にはヨーロッパのドイツに対する因縁が、今のEUの要因のような。
第一次世界大戦、ドイツは予想外のベルギーの抵抗でフランス侵攻に手間取り、ロシアの予想外の動員体制の早さにドイツの作戦は挫折。p.159
ベルギー、頑張ったんだ!大戦の中でベルギー…。本当にヨーロッパ各国の因縁紐解くのは難しいですが、毎回発見があります。
海運業が著しい伸びを見せ日本は英米に次ぐ世界第3位の海運国となった。p.163
鎖国解いてからここまで早いですね…。船で結ばれる欧州と日本。だからこそアメリカは空を征したのかな?
1921年大飢饉でロシア300万人の餓死者。翌年ソ連が結成された。p.167
ロシアって大戦でもたくさんの方が亡くなられたし、世界で一番人が死んだ国なのでは?それを踏まえて今のロシアがある。
1959年ソ連は中国との技術協定を破棄し技術者を本国に引き上げさせた。結局毛沢東の精神主義的な政策は経済の混乱を招き、国家主席を劉少奇に譲ることになった。中ソ対立を利用してアメリカは中国に接近、日本も日中国交正式に回復p.194
日中国交回復のかげに中国とソ連のこういう関係があったんですね…。弱くなって初めて展開がある。弱さは大事。