見出し画像

サブカル大蔵経382 E.ハーバート・ノーマン/大窪愿二『忘れられた思想家-安藤昌益のこと-(上下)』(岩波新書)

安藤昌益をここまで称賛するのは過大評価かと思って読んでましたが、昌益が世界史的に特筆すべき人物に思われてきました。

ノーマンさんのWikipedia見たら、GHQ、共産主義、スパイ疑惑と日本戦後史の重大な節目に関わっていた人だと知りました。最後は自殺されたとのことです。ノーマンさんの方に興味が出てきました。

画像1

〈上巻〉

京都立命館大学の新進学者奈良本辰也氏が三浦博士の蔵書を調べられた際にようやく判明した。p.10/他の一部は京都の奈良本辰也氏の手もとにある。下巻p.211

 奈良本辰也との資料の取り合いか。

 ノーマンと奈良本の関係が気になる。

徳川時代、秋田は大阪との間に海上輸送の便があって京都と絶えず接触を保っていた。p.21

 北前線海路。秋田は辺境ではなかった!

日本の歴史上の人物で昌益が名前をあげているものは、誰も彼も皆あからさまに罵倒されているが、例外として物部守屋が日本に仏教を取り入れたのに反対したとして好意を持たれ、…p.56

 仏教の来なかった日本。

昌益の一斉攻撃の的は道徳や宗教の名において社会を欺き、ついには自らを欺く学者僧侶のやからであった。p.135

 信長の延暦寺焼き討ち理由と同じか。

モンテスキューは昌益の文筆活動の時代とほぼ同じ頃の1748年に書いた『法の精神』のなかに、「日本の法の無力」と題する短い一章を入れていた。p.152

 モンテスキューは、黒人奴隷を動物以下とみなす言説をしていた。大航海時代の流れから興った百科全書派と啓蒙主義が帝国主義と差別を確固としたのか。フランスの東洋情報摂取については後藤末雄さんの著作が詳しいです。フランスと中国。二つの中華思想のやりとり。

昌益は明治以前の日本の思想家のなかで、封建支配を完膚なきまでに攻撃した唯一人の人である。p.155

 たしかに実際の影響は抜きにして、昌益の存在は何か、救われる。

日本史上の三大人物を特に憎むべきものとして指摘する。この三人は聖徳太子、秀吉、家康である。p.156

 まさかの三悪。

釈迦や孔子やその同類は人間の精神を高め豊かにするどころか、かえって社会を毒し、自然の道をそこなって人類に有害無益なわざをなさしめるものであるというのが昌益の主張であった。p.167

 人間を縛ったり惑わすということなのかもしれません。老子やルソーのような自然に帰るという形に近いけど、その考え方も人為的と非難されています。

明らかに孔子というよりも朱子およびその門流の所産である。p.178

 朱子学も批判。

〈下巻〉

その反復と密接に結びついているのは、中国および日本の正統派哲学者を攻撃するおびただしい毒舌である。p.12

 毒舌王としてタレント価値ありそう。

昌益がどの程度まで道家の思想に影響されたかを明らかにすることは容易ではないがそれから何らかの着想を得たことは考えられる。p.20

 老荘とは何かを再考察したい。

昌益は社会契約の観念は全然もたなかったし、農業の第一義性を強調したために、かれの考えた理想の状態は、ルソーの夢想した漠然たる感傷主義からかけ離れたものとなっている。p.70

 理想主義ではない考えかた

徳川時代に生きた人が、当時の日本人の一般に軽蔑し劣等種族として取り扱っていたアイヌのような原住民にこれほど率直な好感を表したということは注目すべきことからである。p.86

 ユニバーサル思想

昌益はオランダを称賛したが、昌益とまさに同時代の人でその当時の最も正確な知識と鋭い精神の持ち主だったディドロもオランダを褒めていたので、それぞれの理由を比較する事は教訓的であろう。p.101

 昌益とフランスの百科全書派

昌益は徳川時代の思想家として封建支配の確固とした道具をつとめる儒教イデオロギーと漢学を分析し、その堕落の豊富な証拠を示したおそらく唯一の人であろう。p.200

 たしかに今までのどの思想家とも違う。

彼は自分の国を愛したが、それは神道流の神秘主義者や逆上した国家主義者が外国を憎悪し軽蔑することによってのみ自国への正しい尊敬を表すことができるとするーあの熱に浮かされたやり方をもってではなかった。p.204

 仲基や宣長や篤胤とも違う。右派とか左派とかとも違う。農本アナーキストか?

いいなと思ったら応援しよう!

永江雅邦
本を買って読みます。

この記事が参加している募集