サブカル大蔵経973奥田実紀『図説赤毛のアン』(河出書房新社)
「赤毛のアン」とは何か。
架空と実在のはざまの絶妙な存在。
自分を投影するほど手が届かないような。
だからこそ多くのアン本の出版が重ねられているのかな。決定版はどれなのだろう。レシピ本だけでも幾種類。
本書は河出ふくろうの本、図説シリーズ。歴史背景の説明が丁寧で、推理小説のように解き明かしたり導いてくれますが、アンの続編にもページを割いていて、未読の私には当然、ネタバレの地雷もありました。
キャラクターに特化した考察も読みたくなりましたが、それだとフィクションになり、本書からは逸脱してしまうのかな。
あと、アンの本が多い理由として、派閥もあるのかなと思いました。訳書だけでも、新潮社、講談社、集英社。奥田さんは島に暮らしたことがあるというのがリードというかマウントだと思いましたが、本書ではあえてそれは押し出していなくて、節度を感じました。「私だけが知ってる」の内容だと引いてしまうので。
ジャズやプロレス、ガンダムみたいに、『赤毛のアン』は、もはや〈ジャンル〉なのかなと思いました。
アンが引き取られるクスバート家は混合農家で、物語の描写から、馬と牛を飼い、リンゴを中心とする果樹園を持ち、家庭菜園と別に、広い農地で麦やジャガイモ、ターニップ(カブ)などを栽培しています。p.18
自給自足の電気水道もないグリーン・ゲイブルズ。実はカナダの「北の国から」か?優美なようで、思った以上にマシュウやマリラは激務だわ。
それまでは国が決めた公式な旗がなく、イギリスの国旗ユニオンフラッグや、赤字にユニオンフラッグがついた〈レッドエンサイン〉と呼ばれる旗などが使われていました。現在のカナダの国旗ができたのは1965年。p.27
カナダの愛国心問題。アメリカをdisるリンド夫人。リンド夫人は古臭い世代の代表のようで自由党だし、実は重要な役割。
グリーン・ゲイブルスも農家ですが、犬も猫も、なぜか登場しません。マリラが猫や犬を嫌いだったからかもしれません。p.42
アニメでは猫登場しますが、存在感なし。名作劇場の文法に反する演出。だからこそ名作劇場の中でのアンの異端性、際立つ。
長老派は、牧師と信者から選ばれた長老が運営を行う体制をとっています。p.58
長老派とメソジスト派、保守党と自由党。アン世界の世間の対立軸。出世間のようなアンも、実はカナダ世間の中のアン。
「窓辺に倚る少女」p.77
村岡花子邦訳タイトル案。やはり「窓」が主役だと村岡花子は見抜いていた。出版には三笠書房編集者が関心。
"モック"はまがいものという意味で、チェリーを使わずにチェリーパイをつくるレシピです。p.97
内容より名前。アン・イズムの象徴か。
グリーン・ゲイブルズ・ハウスのパントリーや台所に飾ってあるものは、〈アジアティック・フェザンツ〉です。当時圧倒的な人気を博していたウィロー柄を意識した中風風のデザインを銅板転写し、磁器よりも安価に提供できた、厚手の硬質磁器(磁器と陶器の中間の硬度を持ち、地肌は白いが磁器のような透明性はない)は日常遣いされました。p.98
フェザンツを検索したら、現在では高級なイメージでした。アニメのあの柄はオリジナルなのでしょうか?欲しい…。
アンの物語に出てくる庭の共通点は〈古風な庭〉であること。〈ワイルドガーデン〉や〈コテッジ・ガーデン〉とほぼ同じとみて良いでしょう。/ダイアナの庭は人の手が加わっていることがわからないような自然に近いこのような感じの庭だったのではないだろうか。p.123
アンの庭は英国の伝統なのか。アニメでのダイアナ家の幾何学的な庭は非英国的だが、自然に近い演出なら英国風。ハイブリッド庭園?
アン役はこれまで、山川恵里佳が2回、華原朋美が2回、島谷ひとみが5回、神田沙也加が1回演じています。2012年に演じた神田は「アンを演じたことで人と人とのつながり、絆、心の支えといった身近にある大切なものを改めて教えてもらえました」と話しています。p.132
そうそうたるメンツ。アンの魔法にかかってしまったのか。でも、アンに学んでいる人いないような。想像することはできなかったのか、想像しすぎてしまったのか。
オリジナルは一部で、原作に忠実につくられています。制作当時最も原書に忠実な完訳だとして選ばれた神山妙子訳を底本にし、時代設定も1890年代と正確です。/高畑監督は「客観的に描くことでユーモアが生まれる」として、アンの視点だけから描かず、マリアの視点も納得いくように見せることで、親になっても楽しめるよう心がけたそうです。p.133
マリラ視点は高畑演出というより、原作でも丁寧に描かれていると思いました。でも、〈視点の分散〉はアニメでより強く感じました。親になってもー。たしかに、世代を越えて楽しめる要因ではありますね。
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