サブカル大蔵経770ジョージ・サルマナザール著/原田範行訳『フォルモサ』(平凡社ライブラリー)
種村季弘で学んだ偽書・奇書の系譜。
待望の一冊。
騙すということの本質性。
真実とフェイクの裏返し。
経済も恋愛も宗教も教育も買物も人生も。
私たちが社会や歴史について語る際に常識としていること、あるいは社会や歴史についての通念とされているものに、次々と揺さぶりをかけていると言えよう。p.412
訳者の原田範行さんの解説の、満を持して感がたまらない。
どうやらイエズス会士たちがかつて多くの話をでっち上げ、嘘偽りを人々に吹聴したためのようであります。p.14
イエズス会disに満ちた理由は、訳者解説で明らかになる。
イエズス会の強引な手法やそのほかの宗派の教義には少しも満足せず/イギリス国教会にしてみれば、その威光を示すうえで願ってもない事例となる。(訳者解説)p.406
実は本書の目的は、このことがメインだった。初版と二版でも、フォルモサ著述とイエズス会著述の章題の順序が入れ替えられた。
日本の帝位に就いてから約二年後のこと、メリヤンダノーは病気と偽り、その回復を祈願するとして日本の神々に実に多くの生贄を捧げた。p.71
〈メリヤンダノー〉とは、何インスパイアなのだろう。家康なのか天皇なのか。
棺は輿に載せられ、二頭の象がこれを運ぶ。p.118
葬送の図。象の鼻に乗る人が可愛い。
一般の女性には、次の五種類の違いがある。つまり、子供、乙女、新婦、既婚者、夫に先立たれた者。いずれもみな、異なる服装をしている。p.150
どうしてこういうことを詳しく語ろう、騙ろうとしたのだろう。
以来日本人は、アミダ寺で、アルバロ神をそこに描かれた泉とともに信仰している、というわけだ。p.160
阿弥陀だけ登場。
アミダとかザッカとかナコンとかアルバロのような特別な名前で呼ばれる神々は、結局のところ、聖なる尊厳なり何らかの高貴なる行いをしたことで昔から神聖視されるようになった聖人なり英雄なり偉人なりである、ということである。p.161
人間神という特徴
フォルモサ人は人肉も食す。/罪人の肉はたいへんなご馳走で、ほかの貴重で美味な肉に比べても四倍はいい。p.182
敵を食する。頭蓋骨飾りも言及。信長?
毒蛇の頭を切り取りその血を吸う。およそ人間の朝食の中で、これが最も健康な食事ではないかと私は思う。p.184
英国人へのゲテ物度胸マウントか。たしかに、台北の門前市で蛇売ってたような。
一人で煙草を吸うことをアビアオールというが、こうした「社交的」な喫煙は、アビアオズアオールと呼ばれる。一緒に吸う、と言う意味だ。p.186
タバコの民
日本語には三つの文法的性がある。/フォルモサの言語に格変化はなく、単数か複数の区別はあるが、両数形はない。p.189
言語学文法的解説。