サブカル大蔵経251橋口敏男『新宿の迷宮を歩く』(平凡社新書)
乗降客世界最大の新宿駅を誇る現役の要塞であり、同時に昭和の時代さまざまな舞台となった歴史的な街といえる。その街の紹介本としては完璧に近い。歴史、鉄道、店、と最高の展開。さまざまな人種が交わった社交の場としての喫茶店の歴史も、資料としても価値が高い。平凡社新書のシリーズになって、上野や神田や浅草など類書作ってほしいが、この本、新宿だからこそできた本なのかな?
特に、江戸のはずれ、郊外だからこそ生まれた新宿の文化や人、暮らしに注目して新宿の姿を捉えていきます。p.8
神田や浅草と違う、中心から離れた西の方の郊外の街。郊外だからこそのパワー。
大正の初めごろ、新宿駅の周りには木炭などを扱う店が20軒ほど石炭屋も10軒ほどあり、大きな勢力を誇っていました。現在の紀伊国屋書店も元はそんな炭屋の一軒でした。p.17
そうなんですか…。炭焼…。鬼滅?
これからは東京の中の新宿ではなく、アジアの新宿、ユーラシアの先端都市としての新宿を考える必要があるのではないでしょうか。p.28
バスターミナルもあるし。外国の日本のガイドブックでは新宿から始まるみたいですし。日本人が思っているより、新宿のネームバリューや可能性は大きいのかも。
紀伊国屋書店本店の店の前の広場から裏の通りへ抜ける空間は今は当たり前に感じられるかもしれませんが、街路を建築に取り込んだ初期の例であり、建築が都市環境との関わりの中で果たし得る可能性を提案した好例として高く評価されてきました。p.41
あの空間が…。たしかに不思議な空間だと思いましたが…。実は旭川もビル谷間路地の街なので、なんとか工夫できないかな。空間って広いだけじゃなく、狭い方が可能性あるのかな?
京都で創業した丸物が新宿に進出したのは昭和30年。新宿ストアを買収したが、同じビル内にあったストリップ劇場が立ち退かず、ストリップ劇場とデパートが同居するというある意味新宿らしい懐の深いデパートでした。跡地は伊勢丹に買収され、昭和43年、メンズ館となっています。p.69
京都の親戚がよく「マルブツ」と言ってましたが、あそこが、新宿に支店を出し、その跡がメンズ館だとは…。
飯売女。品川宿は500人。板橋、千住、内藤新宿は150人の飯売女を置くことが認められたのです。p.101
飯盛女は東海道五十三次の裏テーマ。板橋、千住…。たまたま昨年歩いてきた地域です。街道と宿が東京の透視図なのかな。
(ロンリープラネットでは)「東京で最も悪名高い歓楽街注目すべきはこの地域は夜に散歩しても掃除だ安全だ」と書いています。p.134
外国人にとっての歌舞伎町は観光アトラクションのひとつか。ドイツ、ハンブルクのレーパーバーンみたいなものか?
新大久保駅を過ぎて最初の路地を右に曲がります。ここがイスラム横丁と呼ばれる通りです。お店には少し入りにくいのですが、スパイスが好きな人は勇気を持って入ってみましょう。本当に安くスパイスを買うことができます。p.293
関根勤座長の「カンコンキンシアター」を観に、グローブ座に毎年通いました。その時、このイスラム通りを歩きました。昨年から銀座博品館に移ってしまったのですが、私にとって新宿はカンコンキンです。