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サブカル大蔵経586大沼保昭『サハリン棄民』(中公新書)

サハリンは、北海道のさらに北に位置する島であり、元日本。ギリヤーク、アイヌ、和人、ロシア人、囚人が入れ替わりうつろう土地。そして今住んでいる民族で、ロシア人の次に多いのが韓国人。なぜか。

1990年のサハリン空港。ごった返す朝鮮人、半世紀ぶりの帰国。韓国へのチャーター機。置き去りにした日本への恨み。出国を認めなかったソ連への憤り。自分たちを忘れ去った祖国韓国への苦い感情。p.3

日本・ロシア・韓国の三角に見捨てられた在サハリン朝鮮・韓国人たちの物語。

元旭川市長で国会議員だった故五十嵐広三さんが新書に登場。嬉しい。

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約40,000の朝鮮人は約300,000の日本人とともにソ連占領下のサハリンにとどまることになった。p.18

 日本人と一緒にサハリンに移住した「在日」朝鮮人は、本土に帰る日本人と違い、取り残されてしまった。

なぜ自分たちを連行してきた日本人が帰り、無理矢理連れてこられた自分たちが取り残されるのか。p.25

 日本という空間が縮小した結果。

戦後のサハリンには、戦前から戦争中にやってきて戦後帰れなかった朝鮮人、北朝鮮からの派遣労働者、朝鮮系ソ連人と言う3種類の朝鮮人が住むことになった。p.42

 それぞれの背景。

原氏と五十嵐氏の働きかけ。p.189

 自社タッグってありえるんだ。

ところが肝心の韓国政府が永住帰国に消極的だった。p.210

 北朝鮮と韓国の関係。

五十嵐議員が再度訪れた際に、朝鮮人の激しい怒りをすでに何回か受け止めてくれていたためだろう。p.214

 五十嵐広三の受け身の凄み。のちの官房長官。

しかし日本に、少しでもかつて自国民として働いた朝鮮人へのあたたかい気持ちがあったら、サハリンからの引き上げに関わった日本政府の担当官が「サハリンには日本国民として連れていかれた朝鮮人がいる。一緒に引き揚げさしてほしい」と一言GHQの担当官に告げていたら、この問題はおそらく起こらなかっただろう。p.221

 どさくさの分断ほど後を引く。

 一昨年サハリンを訪問しました。素敵なところでした。市場や墓地を訪ねながら、その土地に住む人の運命を思いました。でも実は北海道も同じ、日本でも世界でも、そこに住む人の物語はどこでもあるのかもしれないと思いました。

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永江雅邦
本を買って読みます。

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