サブカル大蔵経971杉山寿栄男『アイヌたま』(北海道出版企画センター)
『アイヌたま』。蠱惑的な書名です。
「たま」と入力すると、珠、玉、球、卵、魂、弾、霊、多摩といろんな漢字に変換されます。現代人の「たま」とは何でしょうか。私は「たま」を持っているのか。
昔トンボ玉を頂いたことがあります。叔母がその仕事に携わっていました。本書でも詳しい由来が掲載されています。フランス語のお墓のトンボウではなく、蜻蛉の目玉とのことです。
南方と北方の流れ。古事記や日本書記から見える玉信仰。玉の力を借りて人類学の営みをたどる途方もない旅。
寧ろあの単純な一粒の玉が、彼ら生審の遠い先祖から転々と持ち伝えられたて、人々の手によって擦り減らされたその風化面の持つ色彩にいい知れぬ愛着を覚え、魅力を感じたものであった。(まえがき)
この擦り減らされた風合いが玉の魅力。
タマの字に「玉」と「珠」とを用いられてあるが、珠は海に産するものであり、玉は山に産する石材を指すと言われている。p.11
真珠は海産。竜の手に持つ珠も海か。
我が上代の古墳より出土する玻璃玉類(硝子製)は、各地に相当発見せられている。p.18
古代とガラスが結びつくロマン。
嫁入道具中第一のものであり、また女の護符ともなった。p.26
アイヌの玉飾りに関する伝説も列挙されていますが、聖なるパワーを持ち、その力を制御しきれないくらいの取り扱い注意の品のような。ドラゴンボールか?
江戸中期から明治時代にかけては携帯用煙草入の流行がその極に達し、まさに袋物工芸の全盛時代であった。p.60
今ならスマホケースか。その口を結ぶ紐に玉が使われた。その玉を堺で作るものはサカトンボ。大陸からの輸入もあれば、国内産もあり、まさに玉石混淆。
フィリッピン・ボルネオ地方の玉は、印度や地中海沿岸地方、ギリシャ・エジプトから将来されたと言われている様に、この玉の起源を遡ってゆけば果てしがない。p.67
私も叔母に「トンボ玉はエジプト砂漠で発見されたガラスだったんだよ」と言われました。
故に、アイヌの玉を研究することは、南北両文化の、時と物の流れの遅速の度合いを知るために、土俗学上大切なものでなければならない。p.68
〈アイヌたま〉という極小の物が、大陸や海洋、アフリカまで繋がる痛快さ。
金水晶玉・蜜柑玉など今日アイヌの玉と言われるものは、殆ど、この人たちの手になったものであると言う位である。この時代、北海道からの注文によって、態々北海道よりアイヌ玉の古い玉を取り寄せては、江戸でこれを模造した。p.77
名人・埋屈さん。江戸蝦夷松前屋敷。浅草区清島町。アイヌと江戸が繋がる江戸最大の秘密工場。ヴェネツィアングラスの秘密バラしたら殺されるムラーノ島の職人か。
従来、アイヌ玉はアイヌの人達の間でも、多くは樺太玉または山丹玉、満州玉などと言われたものであった。北方民族という先入観はこの関係をより深く我等に刻みつけたものであった。しかるに、アイヌの土俗品を研究するに従い、彼等の宝物と言うべき凡ての宝は日本文化の旧来のものが多く取り入れたものであった。p.83
舶来品だと思ったら、近所で作ってたものでした。しかし、まれに、時代も空間も飛び越えてたどり着いた玉を手中にしている人がいる…。