サブカル大蔵経566柳澤健『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』(文春文庫)
読み終えて、いや、途中から、棚橋や中邑の試合を見たくなった。また、文庫版解説の西加奈子の小説も読みたくなった。
私は棚橋や中邑の試合を会場で見たことがほぼない。テレビで見ようともしなかった。柳澤健の活字プロレスは、試合内容もきちんと描かれていたので試合が見たくなった。
実はエリートではない中邑の裏技プロレスの葛藤と、実はプロレスエリートだった棚橋が刺殺未遂事件からプロレスそのものを背負ったストーリー。
柳澤健は、師匠の橋本治からジャンルの専門性と越境的本質を伝承している。今までの著作に比べるとスキャンダル要素がないのが何故なのか考えながら、それが現代プロレスなのかと思った。解説する永田がいい味の存在。
だが偶然にも、棚橋はプロレス同好会のメンバーでありつつ、学校を代表してアマチュア・レスリングの試合に出場するという希有な経験を持つことになった。p.21
学生プロレスとアマレスとプロレス。
それでも『アメリカン・キックボクシング・アカデミー』で習ったダーティーなテクニックは役立ちましたね。(中邑)p.144
ノルキヤ戦で生き残った中邑。
僕がいつも心がけているのは、自分が本当に思っていることしか口にしないということ。/本心でなければ、ファンにすぐ見抜かれてしまいます。(棚橋)p.157
棚橋の既存レスラーとは違う言語感覚は、最大の武器かもしれない。新聞記者を志したという挿話はブロディ的連環か?
離れていったファンを呼び戻すためには、ストロングスタイルの復活しかないわけですが、そもそも存在しないものを復活させることなどできません。/棚橋弘至は思想家であり、革命家であり、煽動者であり、それゆえに孤独だった。p.161.279
猪木プロレスの正体はストロングスタイルではなく、アメリカンプロレスだったという証言は多いが、猪木独自の逸脱プロレスが熱狂を生み、日本独自のプロレスとなっていった。アニメーションでの富野ガンダムのような位置づけか。それを棚橋はひとりで〈標準プロレス〉に戻したのか。
だが、総合格闘技の登場以後、プロレスを最強の格闘技と考える人間はひとりもいなくなった。p.303
言い切った。少しだけ留意したいが。
「中邑はストロングスタイルの呪いにかかっている」と評した。「ファンが思うのであれば祈りだけれど中邑の場合は呪いだ。その呪いを解けるのは俺しかいない。」p.316
祈りと呪い。二人の思想のプロレスがBL的雰囲気を生みだした。このライバル関係はプロレス史の中では奇跡だと思う。
ただ、昔とは違って、バットエンドは許されない。常にハッピーエンドを求められるんです。p.359
ここが棚橋プロレスと相容れないところです。でも、それが最大の転換であり、客もそれに慣らされたら、もう変えられない。札幌の新日のメインはバッドエンドで良くて、前座を楽しみに見に行っていました。
全体年表のほかに、10個ほどの年表を作った。「ドームプロレス全盛時代年表」「棚橋弘至とアメリカンプロレスの関係年表」「大学時代の中邑真輔とMMAの関係年表」「ユークス時代年表」「ブシロード時代年表」「落選後のアントニオ猪木が新日本プロレスを混乱させた年表」など。(著者あとがき)p.426
年表プロレス。
【解説西加奈子】プロレスについて、私ごときが語れない。/自分たちの仕事それ自体の定義について、ここまで思考を求められるジャンルが、他にあるだろうか。/それぞれの「プロレス」があるから、私たちは語ることを止められない。/私の大好きなプロレスについて語らせてください。p.436-443
勇気ある宣言。