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サブカル大蔵経418後藤末雄/矢沢利彦『中国思想のフランス西漸(1)』(平凡社東洋文庫)

 さすが東洋文庫という本に出会えた。

 昔の学者の本は面白い。著者自身の驚きと喜びをこちらに真摯に伝えようとしてくれている。

 本書で感じたのは、異国での異教徒への〈布教〉とは何なのか。ということです。そして、〈異国・異教徒〉とは、実は現代の我々なのではないかということです。

 キリスト教という世界最大のメジャーがマイナーになってしまう東アジアで、宣教師たちはどんな姿勢だったのか。

 日本が鎖国した頃、中国にはフランス人宣教師がやって来ていました。清のトップ康煕帝は唯物主義の知的好奇心の君主。求められる数学、天文学、医学、地理学を伝授する宣教師を信頼して保護する帝。

 宣教師の現地での布教方法に異議を唱える本部との争いが起こり、宣教師と帝との間の信仰と信頼のずれも露わになる。

 現代の仏教や真宗の布教と何が違い、何が同じなのか?昔、ニューヨークの本願寺を訪問した時に、いろいろ感じました。

 本部より遠いところほど、純粋だなと。その土地ならではの工夫があっても、より本源的な布教がそこにありました。北海道もそうであったはずでなないかと。

今から約300年前、すなわち徳川幕府の初期から、いかなる過程によって中国の国情がフランスに西伝したのか。p.5

 フランスと中国。二大中華思想の比較という意味でも興味深い貴重な資料でした。後藤教授、ありがとうございました。

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天下の稀覯書、ことごとく天理大学図書館に集まる。天理教の真柱、中山正善さん。「私が出してあげましょう」p.4

 天理教への謝辞から始まる律儀さ。私も天理大図書館、昔から行ってみたいです。

【フェーヌ】支那は哲人政治であるp.22

【デカルト】支那人や人食人種p.27

【ルイ14世】論語のラテン語訳刊行p.35

 ヨーロッパが出会った中国という存在。

【ラ・フォンテーヌの物語】ベルサイユ宮殿の寝台に支那人の宗教思想を現わす模様の織物を発見。波羅門教徒がいないから意味がわからなかったと。p.37

 中国とインドの思想の結びつきをフランス人は理解していたか、誤解していたか。

ポルトガル、オランダ、イギリスの極東での活躍、世界の太陽ルイ14世の苦痛。p.50

 出遅れたフランス。

宣教師フェルビースト、学殖だけを伝道師の第一資格となることを恐れる。さらに、中国を宣教すれば日本も受け入れたはずだと。p.53

 欧州におけるアジアの地理と外交感覚。

康煕帝の西欧科学研究。「ユークリッド定理と証明を12回くらい読んだと思う。」p.64

 知将との出逢い

解剖学の漢訳は文庫に収蔵せしめ、絶対に刊行を許さなかった。p.69

 文明と文化のせめぎ合い。

1692年、天主教信奉公許。翌年康煕帝マラリヤ。宣教師ジェルビヨン、ペレーラ両師はルイ14世が国内の貧乏人に配った施薬を所持していた。さらにキナを取り寄せて康煕帝回復。教会建立。p.81

 医学と医術により確定された布教。

【康煕帝】「貴師(宣教師)はまだ天国にいるのではない。しかるに貴師はいつも天国のことを心配している。朕はあの世のことにはほとんど興味を持たない。」p.83

 中国の科学的思想が宣教師を揺さぶる。

康煕帝、基督教の教理と自然の大法すなわち中国哲学と一致と認める。耶蘇会士の中国に齎した基督教いわゆる天主教がかなり妥協的なものであった。p.82【マテオ・リッチ】孔子教の「天」とは唯一無二の至上的最高存在、宇宙の支配者、すなわち創造主を言うのである。ゆえに古代中国人および孔子は真の神を認めていたということができる。/リッチ師はかかる見解から中国人が基督教に改宗しながら孔子教、祖先教の儀礼を行っても、これを不問に付した。p.95

 中国の天とキリスト教の天。

50年遅れて中国に渡来した、ドミニコ、フランシスコ両会の宣教師はこれを偶像教崇拝とした。p.97

 現地で工夫された布教を認めない勢力。思想の争いなのか、権力や主導権争いなのか。修道院や派閥について、もっと読みたいです。『薔薇の名前』も関わる案件。

耶蘇会対ドミニコ、フランシスコ会の確執。1637年、駆逐。教皇インノーセント10世の中国儀礼禁止の教書にも耶蘇会士は屈服しなかった。p.100

 耶蘇会士(イエズス会)の矜恃。

伝道の熱誠と宗法の厳守とは、かえって極東の文明国における禁教の悪果を招いたのである。p.139

 本部の原理主義は現地を刺激する。親鸞と善鸞の相剋。善鸞は関東でのイエズス会か?

【ラ・バルビネー】「孔子の倫理哲学はきわめて平々凡々。」p.270

 フランスに届けられる中国の情報。

【孔子を翻訳したイントルチエッタ】「もし、孔子が近頃まで生存していて基督教の純真なことを理解したとするならば、彼こそ基督教を改宗した最初の支那人であったろう。」p.295

 孔子とキリスト

聖書の記事が最も古い世界だと信じていたヨーロッパは、アダム以前の人間がいたことを記す支那の史書を知ってびっくりした。p.337

 中国と対抗できるのアルメニアくらいかなぁ。

 


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永江雅邦
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