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私は「言葉」を大事にしていきたい

はじめまして、おはぎと申します。
札幌の求人事業会社でwebサイト管理運営をしながら、2人の子供のお母さんをしています。


今回は、昨年受けたワークショップを経て、自分の中で核になるものを見出せそうで、見出せないお話をまとめます。モヤモヤを書いていくので矛盾があるかもしれませんが、ワークショップの中にあった「今を書き留める」を実践してみようと思います。

私は昔から文字が好きだった。話すのも好きだった。=言葉が好きだった

まず、私のことを話したいと思います。元々、本を読むのが大好きでカバンには文庫本を2冊ぐらい入れておかないと落ち着かないような人間でした。
年齢を重ね、本を読む時間をなかなかつくれず悶々としているのですが毎月1冊は何か文庫かビジネス書を買っていると思います。そして、増えていく積み本…。
しかしながら、幼い頃から常に本が手元にあり、文章から読み取った世界の中で色々と考えることが大好きです。
私の読書傾向はこちらに(これ、リライトしないとなー)

一方、文章も書くのもお話をするのも、お話を考えるのも好きでした。夏休みの宿題で一番最初に終わるのは読書感想文。できることなら、本に関わる仕事がしたくて編集者を目指していました。
作家にはなれないけれど、言葉を紡ぐ、言葉・文字に埋もれた世界で過ごしたい。いつもそう思っていました。
ちなみに今でも、子どもの寝かしつけでは、子どもにお題をもらってその場で即興の短いお話をするというのをやっています。これはこれで、とても思考の整理を鍛えられていいです。

また、仕事の面では、編集者を目指していましたが高校・大学で独学で学んだWebサイト構築がすごく面白くてそちらに進むことを決めました。が、就職し配属された部署は、Web広告代理店事業部に新設されたアクセス解析の分析チームでした。当時はがっかりしましたが、ある意味、「文章を書くこと」を生業にしたと言え、今となってはありがたかったと思っています。

このチームでは、数字から読み取れることを言語化し、レポートにまとめることが必要でした。
数字に隠れている要因を言葉で紐解き、言葉で相手に理解してもらう。そのためにどのような言葉を選び、何から伝えるべきか。を試行錯誤しました。
更に、Webマーケティングの世界は「横文字カタカナ」が多く、言葉の意味を説明しなければいけない場合が多くあります。
当時の先輩からは、「平易な言葉で相手の使う言葉に合わせて作成する」ことを口酸っぱく言われ日本語に置き換えたり、注釈をいれたりと何度も何度も赤入れをされながら、作成したものです。

そして、経験を積み今度は、レポート作成ではなく改善施策のコンサルティングを行う役割も担い始めます。
そうなると、言葉を届ける先が、マーケティング担当だけではなく様々な部署の方に広がっていきました。Web制作担当、開発担当、担当者の上司などなど。その場その場に合わせて「言葉」を選んでいくことがスキルとして必要になっていきます。
事実を伝える「言葉選び」から、形のない「思い」を明確化するための「言葉選び」に変わったとも言えます。

自分の言葉が本当に相手に届いているのだろうか

そうした時に、ふと思い当たります。
私の言葉は、本当に伝わっているのだろうかと。
言葉は、使い方、選び方、時・場所次第で様々な色・意図を纏います。そして、その言葉がまとった意図・色は受け取り手と私と必ずしも一致しません。
私が選んだその言葉は、本当に相手に届いているのか。しかも、その届き方は「本質」をついているのだろうか。
特に、ここ数年は自分の業務においては「仲介役」「渉外役」「ディレクション」を担う事が増え、ずっとその不安がつきまとうようになりました。
「平易な言葉を使う。相手の言葉に合わせていく。」
先輩が言っていたこの言葉が意図する「本当の意味」はどこだったんだろう。文章がかけるようになる。ということだけではない、その裏には「意図」「コミュニケーション」「伝える力」「軸を生む力」などもっともっと意味があったのはないか。
今、40歳になり社会人歴19年目になって改めて考えさせられます。

また、子どもに聞かせている即興のお話でも、ハッとさせられることがあります。子どもは素直なので「さっきの言葉の意味はなに?」「さっきの音は何のことだったの?」などお話の中でわからなかったことを聞いてくれます。
その質問こそ「子どもでもわかる言葉」を選べていない・配置できていないのかと自分に気づきを与えてくれます。
寝る前のほんの15分ですが、とてもありがたい時間です。

自分の思いは言葉にしないと伝わらない…でも怖い。

私は昔から自分の気持ちは言葉にしないと、伝わらないと考えていました。
なので、割と愛情表現も嫌なことも、言葉で伝えるようにしようと心がけています。
なるべく、言葉の背景・思いなどもきちんと伝えていくこと。
あなたと私は同じところを見ているよ。と伝わるように、この言葉の意図はここだよとお互い理解し合えるように。

ただ、最近はその自分の気持ちを言葉にする前にぐっと飲み込んでしまうことが多くなりました。
「言葉にしてしまう」ことの恐怖を感じるのです。
その背景には、この言葉を発することでどう自分がどう思われるのだろうか、うまく伝わるだろうか、影響はどこまでなのか…責任を負いたくない、出来ない人と思われたくないなどグルグルグルグルしてします。そんな感覚からの怖さ。それが過剰になりすぎていたのか、後輩から最近「なぜ、わざわざ自分を下げるのか」と問われました。逆に、それは「自分は出来る」とむしろ相手を見下しているようにも聞こえると。
その言葉にはっとしました。先程の意識があるのは事実です。
相手のほうが物事を知っている、的違いなことを言ってしまうことへの恐怖もあります。でも確かに、一方でこっちが下がってあげてるんだよという意識もあるのかもしれない。
じゃあ、そういう意識を取っ払って自分の想いを素直に真っ白なまま言えと言われたら、言葉がでてこない。自分の中が空っぽでとても怖い。
「怖い」にも色々あることを実感し、どこか何かもっとうまい「言語化」のヒントを掴みたいと思うようになりました。

子育てをしていても、投げかける言葉が重要だと感じます。子どもはやはり親の「言葉」が一番なのです。言葉遣いだけでなく、言葉によって感情・心情も左右される。なので気をつけないといけないと感じます。

まだまだ明確なビジョンになっていないけど、私は言葉を大事にしていきたい

あなたはどうなりたいのですか?
これも最近知り合った方、コーチングをお願いしている方から問われた問いです。恐れずいうなら、わかりません。でした。
言葉を言語化をできるようになることがゴールだとおもっていたけれど、本当にゴールなのか。それすらわからない。
そんなところに自分がいる。まずは、そのことをこのnoteに残していきたいと思います。ただ、想いとしてあるのは「言葉」を大事にしたい。私の大好きで、手段で、大事なものだから。大事なものを通じてどうなっていきたいか。それを考えていこうと思います。

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