【書籍紹介/海外文学】改変された百科事典と、そこに記される架空の惑星
ロシア文学にハマった後、もっといろんな国の文学作品を読みたいと思って何となく手に取ったのが、バルガス=リョサの『密林の語り部』でした。文明社会の通時的現実認識と、魔術的世界の共時的現実認識が交互に繰り返される衝撃の構成に、見事にラテンアメリカ文学沼に引き摺り込まれました。
とはいっても、文学に疎い私はバルガス=リョサとガルシア=マルケスくらいしか知らなかったし、マジック・リアリズム全開のガルシア=マルケスはあんまり自分に合わないかなって思いながらも、無理して読んでました。
あくまでSF好きの私は、どんなに独創的なアイデアでも、前後関係や必然性や因果が感じられない、あまりに自由奔放で雰囲気だけの作品は苦手なのです。
だから多分マジック・リアリズムが合わないんだわと思ってたのですが、つい先日noteでボルヘスを紹介している記事を見つけて、少しだけSFの気配を感じたのです。
マジックというくらいだから、物理法則や因果律を無視しまくっても許されるジャンルの筈なのに、なぜSFっぽいのか?気になって読んでみたら、これがめちゃくちゃ面白かったのです。
というわけで、今回紹介するのはこれです!
J.L.ボルヘス 著
鼓 直 訳
『伝奇集』
言わずと知れた幻想小説の大御所、ガルシア=マルケスやバルガス=リョサにも影響を与えた20世紀アルゼンチンの大スターにして、「マジック・リアリズム」の親玉です。
表紙はホラー小説みたいだし、本が届いた時は正直すぐに読む気になれなくて、少しだけ積読していました……。
この短編集の中から、『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』を取り上げてみたいと思います。これ、短編集の一番最初に収録されているのですが、のっけから圧倒されたのです。
以下、あらすじです。ネタバレあります。
ちなみにたくさんの人名が出てきますが、ほぼ全員実在の作家やジャーナリスト、あるいはボルヘスの知り合いだそうです。
何だこれは……不思議な響きをもつ謎の言葉、改変された百科事典、架空の惑星、秘密結社、そして空想世界が現実世界に染み出してくる不気味さ……これはもうSF以外の何者でもないでしょう!
文字数の都合上、要点だけをまとめたのですが、これらの現象や考察をより説得力あるものにするために、ボルヘスは古今東西の文学作品や学者・作家の名前を出しまくって、まるで学術論文様相を呈しています。そのため巻末の索引を頻繁に探さなくてはならず、読み進めるのは容易ではありません。この感じもまさに論文を読まされているみたい。
擬似科学の創作といえば、まず真っ先にスタニスワフ・レムの『ソラリス』を思い浮かべます。ソラリス星に海のように張り付く謎の地球外生命体(?)を解明しようと、新たな学説が次々と発表されては否定され……を繰り返す、空想上の擬似科学論争が非常に生々しい。
『ソラリス』と異なるのは、この作品の場合、どこからどこまでが現実の科学で、どこから架空なのか非常に分かりにくい、いや分からないように仕組まれていることです。
途中まで本物の学者の名前、本物の書籍名が出てきて、その中に混じって空想科学が潜んでいるのです。現実と虚構がシームレスに繋がる、そうかこれがマジック・リアリズムなのかと思いました。
そんな擬似科学が明らかにする「トレーン」という星について。本作では惑星の質量や軌道、植生といった自然科学よりも、そこで生きる人々(人間、あるいは人間にそっくりな生物がいる設定です)が築き上げた哲学や文学を紹介しています。
後から気付いて驚いたのですが、どうやら「トレーン」が人々の想像から生み出された非実在である、という事実を、「トレーン」の設定の中にも組み込んでいるようなのです。
「空間的なものが時間を超えて持続しない」という「トレーン」哲学は、人々の想像によってでしか「トレーン」は存在せず、「トレーン」のことを考える人間が一人もいなければそれは消滅する。50年前に誕生し50年後に滅亡する……みたいなものではないのです。
このメタ的基本設計の上に、様々な科学的知見が整合的に積み重ねられていきます。あらすじのプラトン的唯物論も、この基本設計に抵触しない唯一の神学だと言えるかもしれません。
ボルヘスの幻想小説にSFっぽさを感じるのはここです。これは現実のありようを細分化し、その幾つかの要素を改変して、世界がどのように変化するのかを観察するシミュレーションSFなのです。
しかもボルヘスの他の短編も含めて、視点人物は物象の観察者であり続け、決して自己の内面ーー感情や葛藤ーーを曝け出したりはしません。これはガルシア=マルケスやバルガス=リョサとの大きな違いではないでしょうか。
この冷めた目で世界を俯瞰する一人称、これもまたSFっぽさに拍車をかけます。
とはいえ思い返してみると、これまで読んできたSFの多くは、視点人物が世界設定の説明責任を負いながらも、一応世界の中に歯車として取り込まれ、疎外されながらもそこで生を営むものばかりでした。時には「トリックスター」の役割を演じる主人公もいたけど、この作品のような、諦観した第三者的視点を維持する視点人物は稀かもしれません。
しかも創作物(本作)のなかに創作物(トレーン)があり、さらにその中に創作物(トレーンの文学や学説)があるという入れ子構造の中で、下位の創作物が一つ上の創作物の次元に影響を与える、というメタ的設定には終ぞお目にかかったことがありませんでした。
自分でもいろいろ読んできたつもりでしたが、まさかここにきて全く新しい構造を持つ作品に出会えるとは、という喜びと興奮がありました。文学の世界の広大さを思い知って、多分自分の生涯をかけてもこの大海原を渡り切ることはないだろうなという感じがして、なんだかとても嬉しく思います。
ボルヘス、大好きになってしまいました。