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#12 「生成系AI」は「教師の壁」を越えられるのか②

#11で、「生成系AI」について、それは学校現場に持ち込まれるのかを考察しました。よければ、①をご覧になってから、こちらをお読みください。

今回はその続きです。

学校で「正誤」「真偽」が問われる行為には「生成系AI」を使わなければ良い!

①で、このようにまとめていました。
もっとわかりやすくまとめると

正答がいらない場面で「生成系AI」を使う

です。

今回はそれを踏まえて「教師の壁」を越えるための条件は何かを考察していきます。

なぜ「教師の壁」が必要なのか

そもそも「教師の壁」は学校現場に必要なのでしょうか。

学校現場において子供に対する大人は教師。
行事を決めるのも、時間割をきめるのも、授業内容を決定するのも、教師です。
教師が「壁」になって、生徒がよりよく成長するためにということを念頭に置き、複数人で協議し、時には自問自答しながら、指導内容の取捨選択を行なっています。
(それが過剰になって、もしくは疎かになり、「ハラスメント」や「体罰」などの「不適切な指導」に繋がっている現状もありますが・・・)

子どもの成長のために、不必要な情報を与えない。
子どもの学びのために、あえて簡単な内容から指導する。

それぞれ、教員が取捨選択している現状があり、それがあるからこそ、文字通り「人間味のある」指導ができているはずです。

そういう指導をしたいからこそ、「教員の壁」が築かれていくのです。

しかし、この「壁」は、学校外からの情報だけでなく、学校内の情報の遮断も行われます。

生徒が大麻を使用して、それを隠蔽しようとした(指導が終わってから公表しようという言い訳が付け加えられましたが)というニュースがありましたが、学校が世間体を意識しすぎて不必要な「教員の壁」が出来上がっています。
まだ発覚した分には良いのですが、世間に発覚していない事件も学校の内側では発生しているはずです。
いじめ問題も然り、体罰問題も然り、「教員の壁」が学校の内情を見えづらくしている元凶にもなっています。

「開かれた学校作り」という言葉もある通り、学校は常に開かれていなければならない。
しかし、子どもたちの安心安全のために一定は閉じなくてはならない。
この役目を担うものこそ、「教員の壁」なのです。

答えにはなっていないかもしれませんが、
「教員の壁」は、必要な場合と不必要な場合とがあるということです。

「AI」を立ち入らせない「教員」

では、そんな「教員の壁」に「生成系AI」ないしは従来の「AI」はなぜ阻まれてしまうのか。別に学校現場で活用しても問題はないはずなのに。
①でも触れていましたが、【「AI」は「真偽」が曖昧だから】だけが答えなのでしょうか。

「正解」が至上命題になっている教育現場。
これが邪魔をしているのでは、と私は思います。
また、教育現場で働き、その中で私が感じた教育現場の弱点は
「正解」だけを求め続ける
ということです。

この弱点は別に問題があることのようには思えない人も多いはずです。
「嘘」ばかりを教える教員よりも「正解」を教え続ける教員の方が信用できるはず
信用が不可欠な教員は間違えたくない。失敗したくない。
だから「正解」を求めます。

では、どこから「正解」を求めるのか。

それは、「前例」です。

これは、学校現場だけでなく、一般社会でも大切なことですが、しかし、ここに隠れる問題は、
「新しいこと」つまり「正解」かどうかわからないことは避けたい
ということです。

言い換えれば、新しいことにチャレンジしづらいということです。

「前例」を参考にするのは悪いことではありませんが、それと「前例」と全く同じようにすることとは違うこと。
学校現場では「前例」と同じがよく行われます。

「去年もやったから」「例年と同じく」
このセリフをよく聞きます。

確かに、教員はただでさえ多忙で、一年間をいかに効率よく過ごせるかが大切になってきます。
そのために、「去年もうまくいったから、同じことを」と無難にやり過ごす。
新しいことをチャレンジすることで失敗することを避けるのです。

「前例」に従えば「正解」する。というか前は「正解」だった。
もしも「間違えた」としても、それは、たまたま今回は間違っただけ。
私は間違っていない。
とも考えてしまう。

こんな学校現場は数えきれないほどあるはずです。

だから「AI」が浸透しないというわけではなく、そもそも新しいことが浸透しずらいという環境なのです。

私の学校でも同じ話。
こんなことが起きました。

「正解」したら「壁」をすんなり越えられる

「正解」し続けたい教員たち。
「前例」ばかりを気にする教員たち。

こんな現場に舞い降りたのが、「デジタル採点」でした。

初め、周りの教員の反応はいいものではありませんでした。システム運用にお金が掛かるということが原因です。文句も言われました。
「お金をかけて、誰がそんなものを使うか。」
「誰がそれを管理するんだ。信用できない。」
「手でつけたほうが生徒も嬉しいはず。」
「採点は慎重に自分が責任を持ってやるもの。時間をかけてやるべき」
などなど。

見事に「教員の壁」に阻まれました。
とりあえず、無料お試し期間があったので、管理職に許可を得て私を含め数人で試行しました。

その結果は、お分かりの通りです。
本校でも「デジタル採点」の本実施が決まったのです。

スムーズに採点を終わらせている姿を見せ、「いやー早いですね」と雑談を交わす数人。
それをみて興味を持ち、掌を返す教員たち。
あの文句を言っていた教員たちも。
「どうやったら使えるの?」と。
厚顔無恥とはこのことか。

管理職も
「是非、正式に採用しよう!」

今では学校の教員の9割がこのシステムを使っています。

これが現状です。
新しいことに一歩を踏み出せない。
なんなら文句までつける。
というわけです。

「前例」がないという「壁」をつくり、「正解」すればその「壁」なんかなかったかのように振る舞う。
逆に、「間違え」てしまうと、ほら言ったでしょと「壁」を強固にする。

なんと愚かなことでしょうか。
つまり、「壁」なんかいつでも越えられるのです。
そう。誰かが「正解」さえすれば。

「生成系AI」が「正解」するには

話は本題に移ります。
はじめに『正答がいらない場面で「生成系AI」を使う』と述べました。

「いらない」場面とは。そして「正解」するとは。

学校現場では実は「正答」のいらない場面がたくさん有ります。生徒の「正答」が求められるのはテストくらい。教員も「嘘」をつかなければいい。

確かに、生徒がレポート課題で「生成系AI」そのままの文章をコピー&ペーストして提出するのは違いますが、その課題を作成するのに「参考にする」のは有りのはずです。(そこに根拠等を正確に述べることができればですが。)
教員も指導要録等、所見を作成する時に、事実が述べられてさえいれば、使えるはずです。

他にも、文化祭の企画名を考えたり、ポスターを作成したり、スローガンを考えたり、そもそも「正答」が存在しないことには使えます。

「生成系AI」が活躍する場面は多々あるはず。
でも、使われない。

その理由は
「新しいこと」だから。
「前例」や、「正解」してる人を見たことがないから。
そして、「人間味」がないから。
です。

これらを解決すれば、きっと「教員の壁」を越えることができるはずです。

もうすでに「生成系AI」は「新しい」ものではなくなってきています。
「前例」を作るには誰かが使い始めて「正解」に近づけていかなければなりません。
そして、難しい「人間味」。
人間が、教員が、アレンジして「人間味」を添加すれば良いのです。

「生成系AI」が生成したものが完成品ではない。
人間の手を加えて初めて「正答」に近づく。
そういうものだとそれぞれの教員が気づいた時、初めて教育現場で使える「生成系AI」となるはずです。


そして、「教員の壁」を越えてもっと活用されていく未来を想像しながら、今日も僕は「AI」を使っていきます。
どんな形でも。「生成」されたものを「正解」に近づけていくために。

おわりに

想定していた文量よりも長くなってしまいました。

もともと、「生成系AI」を使うのではなくて従来の「AI」を使えば…?と考えて、ポチポチと文章を打ち始め、まとめていくと、私自身「生成系AI」の可能性の広さに改めて気付かされました。

新しいことを始めるのが難しい学校現場。
でも、進化しなければいけない学校現場。

仕事が多い
というのであれば
いらない仕事を愚痴る前に、考えてみる。
そんな癖を身につけたいと思います。

そんな時に、ふと「高校教師はなぜ忙しい」と「生成系AI」君に尋ねたら、結構的確に答えてくれるんですよね。
正直すごいと思います。

お悩み相談程度で聞いてみて、セルフマインドを磨くのにも良いなと思う、そんな私でした。

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