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あなたは他人のために生きてはならない

「自分ではない誰かのために何かをする」というのは、素晴らしいことです。

自分がしてあげたことのお陰で、人が笑顔になれたときにはとても嬉しいと思うし、やりがいを感じます。
自分が求められている、必要とされている状況は、責任感と同時に、充足感を感じるものです。

実際、マズローの欲求5段階説でも、「承認欲求」は2番目に高次の欲求であります。

マズローの欲求5段階説(自己実現論)
人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が満たされると、より高次の階層の欲求を欲するとされる。
・自己実現の欲求 (Self-actualization)
承認(尊重)の欲求 (Esteem)
・社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
・安全の欲求 (Safety needs)
・生理的欲求 (Physiological needs)


しかし、「人のために」と常日頃から強く思って生きている人の多くは、
必ずしも幸せではないように見えるのです。
そういう人は、傾向として責任感自己犠牲心が強く、少々無理をしてしまうことが多いように感じます。

「人に必要とされないと自分の存在価値がない」とすら思う。
そんな人もいるのではないでしょうか。


繰り返しますが、人のためになることをするというのは素晴らしいことです。
やりがいもあり、賞賛されるべきことでもあります。

ただしそれは、「誰かの幸せが自分の幸せ」であり、かつ「自分の幸せが誰かの幸せ」である場合の話です。

「あの人が幸せなら自分は不幸でもいい」のではないのです。
『あの人のため』のつもりが、あの人がそれを求めてなんかいないようなときには、誰も幸せになりません。


誰かのために生きるということは、自分のために生きることからの「逃げ」でもあります。

あなたはあなたのために生きる義務があります。
自分自身の幸せに対する責任があるのです。
自分の人生に対する責任を、他人に転嫁してはならないのです。


もしも、今あなたが『誰かのため』に辛いことに耐え、頑張っているのなら、一旦立ち止まってみてほしい。
それは、本当にあなたのしたいことなのか?
あなた自身は幸せなのか?
自分を幸せにすることから逃げてはいないか?

好きな人のため、我が子のため、貧しい人のため、お世話になった上司のため、友人のため、国民のため、会社のため...

それを相手が本当に求めていて、のあかげで相手が笑顔になっていて、それがあなたのやりたいことで、結果としてあなたも幸せならば、これほど素晴らしいことはないでしょう。


けれど、もし他人のために自己犠牲の精神で頑張っているという自覚があるのなら、その姿勢は改めるべきだと思います。

それはあなたの勝手なエゴであり、努力と親切の押し付けであって、それは相手の求めていることではないのです。
誰かの犠牲の上に成り立つ幸せなんて求めていないし、あってはならないと思うのです。

もちろん、誰かを不幸にしてまで自分が幸せになれればいいわけではありません。
しかし、自分も幸せ、皆も幸せ、そんな状況は本当にできないのでしょうか?
実現が困難だとしても、少しでも近づくことはできないでしょうか?


そこで人は言うのです。
「でも自分のやりたいことなんて無い」と。

探すんです。見つけるんです。
いやきっと見えないふりをしてるんです。

他人が求める(と思われる)ことを、自分がやりたいことにすり替えてはならないのです。
自分の人生の目的を他人に押し付けてはならないのです。

自分の幸せから逃げてはいけないんです。

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