人生に意味を求めるのってしんどくないですか
あなたは、自分の人生にどんな意味があると思っていますか?
生きる意義、目的、あるいは理由と言い換えてもいいかもしれません。
なぜ生きるのか。なぜ自分は存在するのか。
そういう「正解」のない問いに自信を持って即答できる人がいるのなら、それは素晴らしいことだと思います。
その人の話を聞いてみたいと思いますし、その人のことを少しうらやましいと感じるかもしれません。
もしかしたら、その人は自分に与えられた使命、ないしは天職と言えるようなものと出会っていて、
生涯をかけてそれを成し遂げるつもりなのかもしれません。
一方で、そういう問いに答えを見出せず、存在意義を見出せず、
時には「自分なんてこの世界に必要ないのでは」などと感じて、苦しんでいる人もいるのではないでしょうか。
僕自身は、この問いに対する答えが約10年前(中学2年生の頃)には見つかっていて、以来、これに関しては一切ブレることなく生きてきました。
『人生に意味は無い』
これが答えです。
そりゃそうだろ、と思った方もいるかもしれませんが、
"「答え」が無い問いだから考えても無駄" ということではありません。
『意味は無い』という明確な「答え」があるのです。
実は、これは仏教でいうところの「空(くう)」の思想に近いものがあります。
ありとあらゆる物事は、全て「空」なのです。
「空」は「無」とは異なります。
何も無いわけではありません。
確かに、それはそこに在るのです。
ただし、在るのはその現象だけであって、その実体は存在しない。
それが「空」ということです。
これを理解するためには、「無常」「無我」「縁起」といった、仏教の基本となる教えを知る必要があります。
つまり、この世に存在するあらゆる物事は絶えず移り変わっていて、永遠不変なるものは存在せず(無常)、
同時に、全ての事象には必ずそれが起こった原因があって(因果)、あらゆるものは他との関係が縁となることで存在する(縁起)。
したがって、一切の存在はその実体なる自我を持ちえず(無我)、この状態を「空」であると表現するのです。
真理・原理的な概念を言葉で表現しようとすると、どうしても抽象的で漠然とした言い回しになってしまいますね。
ともかく、それが存在するに至ったプロセス、つまり「因果」こそあれど、
それが存在する意味などなく、意義も目的も理由もないのです。
あらゆる物事も、人も、自分自身も、そしてこの世界そのものも「空」であり、
しかしそれは決して「無」ではない、大いなる「空」なのです。
ただあなたは今そこに在るというだけであって、したがって、別に何もしなくてもいいし、だけど何かをしてもいいのです。
ただ、それだけなのです。
さあ、今日は何をしようか。
この記事は、決して仏教を広く説くためのものではなく、僕自身も仏教徒ではなく、仏教にそれほど詳しいわけでもありません。あくまで仏教をひとつの参考にした上で、自分なりに解釈しただけのものです。皆さんも、各々自分なりに都合良く解釈し直してもらえたらと思います。
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