その境界にある対比と矛盾 #質量への憧憬
落合陽一さんの写真展『質量への憧憬 〜前計算機自然のパースペクティブ~』へ行ってきた。
「憧憬」とは、「あこがれ」である。
ならば「質量」は、ここで何を意味するのか。
物質性というか解像度がものすごく高いもの。
それ故に、不完全であったり、数学的にはなりきれないものです。
質感とか、重さとか、温度とか、湿度とか、そういうのを持っているもの。
時間的に変化するもの。常ならざるもの。無常。
それゆえに、不完全なもの。ノスタルジー。
数学的なデジタルデータ、すなわち概念へと変換できないもの。
空間的な質量と、時間的な質量。
心象の原風景にある作品は心に引っかかってしまうコンテクストの美的感覚だ. 刹那性と共感性の過程にある美的感覚を世界の切り出しによって表現しようと思考錯誤した結果だ.
心に引っかかった瞬間を写真に撮ることは、刹那性と共感性の交点を可視化することであり、それはすなわち、自分が持つコンテクストに基づく美的感覚を表現する試みである。らしい。
波の時間的変化を並べた作品。
時間軸上の変化から空間軸上の変化への変換。
質量性のあるものを写真に撮り、そのデジタルデータを、物質である紙に印刷した、質量を持った写真という物質。
デジタルと物質性の境界に留められた写真は、質量への憧憬をより強くするのかもしれない。
質量への憧憬を表現するために用いたフォトンは、質量を持たない。
その矛盾が、質量への憧憬をさらに強くする。気がする。
高い解像度を持ったデジタルな8Kディスプレイに映された画像と、
ノイズが乗ったアナログなブラウン管テレビに映った画像の対比。
より質量性を表現できるのは、果たしてどちらなのか。
フォトプリントも買った。サイン入り。
岐阜県大垣の名店『金蝶園』の水まんじゅうの「んじゅ」。
写真の写真を撮る自分の滑稽さに途中で気付いて、少し面白かった。
カメラ買おうかな。ハマる自信があるから手を出せずにいる。
質量への憧憬コーヒー。
美味しかった。天気の良い日曜日。
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