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正解はないもの

よくSNS等で映画の感想を書き込んだりしているのですが、人の感じ方は人それぞれで「個人の数あればその数の感じ方がある」と言っても過言ではない。
そこに「この答えが正解で正しいのだ!」なんて事は最早無意味で虚しいもんなんだと思う。
だからその人がつまらないと思えばそれがある意味その人の感じ方なのでそれを否定するのは野暮なものだと思うのだけど、巷では「お前はセンスねえ!」とか「観る資格ねえ!」とか罵詈雑言の浴びせ合戦で本当醜いし、楽しんでないなあと思う。
基本的に映画は娯楽な訳で「楽しんでナンボ」のもんだと思う。
意見を交わし合い時に意見をぶつけ合うのはそこに「楽しんでる」という気持ちと互いの「リスペクト」が存在してなきゃ成立しないもんだと思う。
今のSNS等で行われてる書き込み合戦は「唯の醜い言い争い」でしかなくてなんか悲しくなる。
そりゃ自分の好きなものを否定される事は面白いか、面白くないかで言ったら「面白くはない」
でもそれはそれで、「意見を交わし合い議論する」という行為は、相手を馬鹿にして陥れる事ではない。
楽しみながら意見ぶつけ合いながらその作品を「愛し合う行為」なのだと思う。
だから「大半の人達は楽しんでないなあ」と正直思う。

そしてよく「CGがちゃちい」とか「映像美がない」とかギミックの部分で不満を垂れ流し「駄作だ」と断罪なさる兄貴姉御連中様方がおられますが、あれも「楽しんでないなぁ、勿体ない観方してるなぁ」と思う。
そりゃ技術が向上して素晴らしい映像を観させてくれるというのは映画の醍醐味だし素敵な部分ではあると思う。
否定したくなる気持ちも(映像的にのれなくなる感じも)わからなくもない。
でも映画って基本的に「ストーリーが如何に感動させて驚かせて夢を見させてくれるか」が凄く重要でそこがキモだと思うから、たかだか「ギミック」の部分で楽しめないというのは本当勿体ないと思う。
時代が進めば技術もそりゃ上がるのは当たり前かもしれない。
でも映画制作は矢張り「予算」って言うのが作品を左右する大きな要因になっているのは紛れもない事実で、そのギミックを求めたがって(ある意味ないものねだり)ばかり言ってたら最早「大半の映画は観るに耐えない映画」になってしまってちっとも娯楽にならなくなる。
要はストーリーと演出でその映画世界に酔わせてもらえるかが重要でそこは製作陣の手案の見せ所なのだと思う。
そこばかり気にするって勿体無い観方よ!絶対的に。
だったらそのチープさを笑い飛ばして楽しまなきゃ。
基本こだわりが強すぎるマニアになっていくとその「自分の認めたものが正しいからそれ以外は断罪するのが正義で俺こそが真実病」に罹りやすい。
それって本当に「映画が好きで楽しんでいるのか?」と。
真のマニアックな考えは「そのチープさも笑い飛ばして楽しむ」事なんじゃないかと思う。
愛!愛だろ?の世界線。

好みなんて物は「十人十色」で食べ物の味や嗜好は最早「正解はない」世界。
それと同じなんですよね。
趣味の世界は。
歪みあって罵り合って自分の趣味でストレスを溜めるなんて最早ナンセンス以外の何者でもないと思う。
趣味は好きというただそれだけの行為でストレスを軽減させるものだと思うのに。

まぁだからと言って自分のこの意見や考えを「正しいんだから従えよ!」とはさらさら思わないし、基本「自分が楽しんでるんだから他人なんて関係ねえよ」って言うのは本音の本音なので、どう思われようが「どーでもいい」
でも楽しむものを楽しめないなんて「なんて可哀想な虚しい人だな」と憐れみ半分どうでもいい半分な感じ。
それこそ「感じ方はそれぞれ」なんだから。
でもなんでも「楽しまなきゃ損」だと思うけどね。
何度も言うけど所詮「娯楽」なんだから。

今日もSNS界隈では醜い言い争いや罵り合い、はたまた偽善的な褒め合い、騙し合いが溢れまくっている。
デジタルの世界になっても「人間の醜さ」は輝きを放っている。
本当にこの世界はクソ。
人間って生き物は群れるくせに共闘し協力し難局を乗り越える事が最早出来ない下等動物以下なんじゃないかと思う。
欲望は世界を回して人を狂わせる。
それでもこの世界で生きていく選択をしている自分は裏腹にこの世界が好きなんだとも思う。
矛盾している生き物。
これからも頑張って細々と生きていこう。

ん?なんだこの締め?
この文章にも正解はないみたいだ。

続く。

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