産まれる場所は選べない④【幼い私になにが出来ただろう】
私が小学2年生ぐらいだっただろうか、破天荒だった父は段々と元気がなくなっていた。当時は近所の酒屋さんが配達にきてくれていたのだけど、その配達のお兄さんが「最近、足を運ぶことが減りましたね」と母に言ったそうだ。近所でも呑んだくれで有名だったんだろう。
そりゃそうだ。父の飲酒量は半端じゃなかった。例えば、ビールの1ケースあるでしょ?あれが2日もたないぐらいで、さらにビール瓶も頼んでいたのだから。そうそうたまにワンカップも呑んでいた。近所の酒屋さんからするとお得意様だっただろう。後に自分がアルコールのプログラムを受けることになるから数値を計算すると純粋にヤバい。
当時、私は学童に通っていて夕方5時になると自分で帰っていた。夕方6時。母が仕事で遅くなる日は父が決まって晩ご飯をつくってくれていた。もちろん呑みながら男の料理をつくる。丼か炒めもの。記憶では父のご飯は美味しかった。九州出身の父は甘辛い味付けが多かったように思う。
正確には覚えてないけど。ある日を境に父の様子がおかしくなっていく。元々無口ではあったが口数は減り、怒鳴る元気もないのか大人しくなっていった。母が「お酒なくなるけど頼まなくていいの?」と聞くと「殺す気か」と言っていたそうだ。呑みたくても呑めなくなっていたのかもしれない。
夕方にはもう薄暗くなっていたから季節は冬だったと思う。私が学童から帰ると部屋の電気もつけずに座っていることが増えた。時にはテーブルの前、時にはベッドの上…。そんな父が怖くて私はランドセルだけ置いて母が帰ってくるまで幼なじみの家にいることが増えた。
今でもその幼なじみには言われる「我が家はアンタにとって第二の家だよね」って。確かにこの子の家で半分育ったようなものですごく感謝してる。
話は戻るけど、幼い私には父の変わりようが怖かった。今思えば"うつ状態"だったんだと思う。
あの時、私に出来たことはなかったんだろうか?話さなくても、暗闇の中でも、同じ家の中に居ただけでもしかしたらなにか違っていたかもしれない。返事がなくても「ただいま」と言えてたら…
それから数日…母が言うには一時的に元気になったそうだ。まさに典型的。だけど経験がないのだから誰も気付くはずがない
その数日後、父は母に大きな傷を負わせることになる。
…つづく