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「時間の使い方」の変化

20代の振り返りも終えたところで、残りの日々は、この10年で変わったことや感じることを書いていきたいな、と。
まずは「時間の使い方」について。

1日は誰もが平等に24時間。

「何を当たり前のことを」と思われるかもしれないが、改めてこの事実の重みを感じる今日この頃。
誰しも平等に与えられた時間の中で、年齢や環境、住まい構成によっても使っている時間の用途構成や長さは変わる。

実家暮らし×学生

この頃は家事のほとんどすべてを親がやってくれていたし、やったとしても単発で食器を洗ったり洗濯物を干したりする程度だった。
つまり、親とご飯を食べたり出かけたりといった家族時間以外は、ほとんどの時間を「自分のため」に使えていた。
だからこそ「20代を振り返って【前半戦】」でも書いたように、学業以外にも課外活動やインターン/アルバイト、国内外の旅行など様々な経験をすることができた。

仮に、この時の自分時間を【100】と置いてみる。
この後は、20代の生活の様々な変化において、自分時間がどのように変化していったのか、見ていきたい(あくまで体感値であることはご容赦いただきたい)。

実家暮らし×社会人(出社)

会社に入ると学生時代までの日々が一変、平日は1日のほとんどを仕事に充てることになる。実家→会社がドアtoドアで約1時間かかっていたものの、家事も相変わらず親がやってくれていたので、平日の家に居る間の時間&土日はほぼ自分時間を過ごせていたことになる。

とはいえ、通勤含め1日に12時間くらい(休憩含む)は仕事に使っていたことを思うと、可処分時間は学生時代より減るわけで、1日平均6時間睡眠だったとしても、自分時間は【52.4】に変化している。
(分子:24時間×7日-6時間×7日-12時間×5日 / 分母:24時間×7日-6時間×7日)

ひとり暮らし×社会人(出社)

続いてひとり暮らしのケース。「20代を振り返って【後半戦】」でも触れたように、4年目の終わりにようやく開始したひとり暮らし。
通勤時間は1時間→30分へ短縮されたので、往復で1時間浮いていた。これだけだと自分時間は【56.3】に増える。

一方で、当たり前ながら日常的に家事が必要になる。とはいえ、ひとり暮らしの良いところは家事が適当でよいところ(笑)
料理1つとっても、1人前だけを作ることはなかなか無くて、自炊のときは大抵作り置きも含めて多めに作るし、疲れている時は近所のスーパーでお惣菜を買って済ますこともできる。
(前後の買い出しや洗濯物畳み等細々あるけれど)料理洗濯掃除で1週間10時間くらいな気がすることを思うと、自分時間は【48.4】、つまり実家ぐらしの時と比較しても4くらいしか減らないのである。

ひとり暮らし×社会人(リモート)

途中で訪れたコロナウィルスにより、完全リモートになった弊社。
通勤時間がまるっとなくなる=1週間で5時間浮く=自分時間が実家ぐらしの時と同じ【52.4】になるかと思いきや、浮いた通勤時間分も結局働いてしまったり、始業就業の境目が曖昧になりがちだったり、結局出社時と変わらぬ自分時間【48.4】くらいの感覚に近かった。
ただ、繁忙期を除けば、これ以上に減る感覚もなかった。

ふたり暮らし×社会人(リモート)

本題はここから。
学生時代と比較して、仕事により自分時間が減ったとて、ひとり暮らしである間はその減り幅は半分で済んでいた。
しかしながら、ふたり暮らしとなるとそうはいかない。

まず料理の頻度が違う。いくら作り置きをしたとしても食べる量が1人から2人になればすぐに無くなってしまうし、さらにはおかずだけあれば(何なら野菜メインでも)生きていけた私に対して、主人は白米×タンパク質を健康のために欲するタイプなので、買い出し時も料理の時も脳みそで献立を組み立てたり野菜との組み合わせを検討したりして、どうにか主人が欲するタンパク質と私の欲する野菜がよい塩梅で摂取できるようにしている。
※Uberとかミールキットに頼るという手もあるのだが、薄味が好きな私としてはそれらの味付けだと少し濃いので、日常使いは難しい気がしている…(自分時間は減る一方で料理の時間が気休めになっている節もある)

これは誰のせいというわけでもないが、我が家は現在、主人=出社/わたし=リモートなので、必然的にその他の家事(主に洗濯)も私の家事に加わる。
※ドラム式を購入して乾燥まで済ませたいところだが、我が家の搬入通路が狭くてドラム式が通過できないという…

その上、年次を重ねたことにより(且つ会社のフェーズを踏まえた際の自部署の役割的に)働く時間もかさむ傾向になる時もあり、そうなるともう自分時間は体感として【ほぼ0】に近い(ごはんやお風呂の時間を除く)。

自分時間をどう捻出し、何に使うのか

自分時間がほぼ0と書いたが、実際には、平日が0なだけであって、週末には自分時間がある。
ただし、元々入れていた予定以外は、平日の疲れを回復するための睡眠や休息に充てられるがゆえに、週末も体感としては「ほぼ自分時間が無い」に近しい状態になってしまっている(コロナ禍で体力が落ちたのも大きい…)。

ここで効いてくるのが冒頭の人間誰しも1日は平等に24時間という事実。
自分時間を捻出しようと思うと、仕事時間を減らす/家事を減らす(分担を考えるorアウトソースする等)/そもそも必要な自分時間を減らすといった手段がある。

様々な手段はあれど、結局のところ、大事なのは、
時間には限りがある=やりたいこと全部はできないと認識すること
 
(どうしてもやりたいなら前述した時間の捻出がMUST)
自分時間の用途に優先順位をつけること
譲れない自分時間は先に確保する&共同生活者に共有しておくこと
な気がしている。
当たり前だが、自分時間が不要なのであれば、わざわざ時間を捻出する必要もないし、家族との時間(お子さんが居ればお子さんも含む)の優先順位が高い人にとっては、家族時間の確保の方が大事になる。

気軽に会えていた人とも会いづらくなってしまった昨今。SNSが日常に溶け込んでくれたおかげで、会えなくても近況がわかったり気楽にチャットできたりするのはよいことではあるが、それでもやっぱりリアルには敵わない時もある。だからこそ、久々会いたいなぁ、と思う人も出てくるわけで。

限られた時間の中で、そして様々な環境変化により「大切にしたいもの/人」の対象や濃度が移りゆく中で、最終的には「何を選ぶことが自分をよりごきげんにしてくれるのか」というご自愛モードで居ることが、後悔しない選択をする秘訣かも、というのが今の私の結論な気がするし、そうやって30代過ごしていけたらなぁ、と改めて感じましたとさ。

今日も今日とて文章量が多かった…
けど久しぶりに文章を書くと脳内が整理されてやっぱりいいなぁ〜
ということで、また次回。



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